飛紅真の手紙

自然、アート、社会問題を宛てもない手紙のように綴る

春は必ずやってくる。

東北地方太平洋沖地震の来た日、

その日も私は花を求めて山に行っていた。

春の使者4つ目の雪割草。



その日の午前中は天気が良く、

のどかな春の日だった。

今年初の桜を見つけた。

桜並木に1本だけ。

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少し早咲きの八重の桜がふわっと花開いて、不思議な光景だ。

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それはとても青空に良く映えた。

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雪割草の自生地があると言われる山の中の集落へ向かう。

林道の入り口付近の民家の庭に、福寿草が満開となっている。

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車一台しか通れない落石の多い林道をゆく。



芽吹きはまだまだな山の木々の中に、黄金色にダンコウバイが花をつけている。

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雪割草の案内板などは全く無い。

民家の方に伺ったところ、民家の裏手の竹やぶの奥に咲いているそうだが、

子どもも通れないほど竹が道を塞いでしまっていたので諦めた。




すると民家の方が、

ちょうど今朝、自生地から庭に株分けしていた雪割草が咲いていたのを

見つけたからと、お庭を見せてくれた。



枯れ草を掻き分け、地中に埋まって錆びた鉢が現れる。

純白で可憐な花がひっそり咲いている。

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その方は庭で咲いているのを見つけたのは今年が始めてとのこと。

完全な自生種とは言えないかもしれないが、

これも素晴らしい生存のカタチ。



節分草、座禅草、福寿草、雪割草と、

これで春の第4使者と会うことができた。






そして林道を下り、すぐ近くの節分草の自生地を再度覗きにゆく。


・・・まさか、車で林道を下っている最中に

大地震が起きていたとは露知らず。



節分草は、遊歩道に溢れんばかり、勢いよく群生していた。

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すごい生命力、繁殖力。

ひとつひとつが可憐で、透明感のある花。

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節分草の群生の中に、

ふきのとうが顔を出していたり。

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自然は一歩も立ち止まることなく春へと向かっている。







何があろうとも、

生まれたそこで限りあるいのちを全うする花。

自然の摂理の中ではなすすべも無い。

精一杯、自分なりに限りある生を全うするしかない。






常に生と死の狭間という極限のなかで、

私たちは息づいていることを思い知らされる。


人もそんな自然の一部なんだと。


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今回の天災には言葉もない。

一人ひとりがが様々なことを感じ、考えるきっかけにもなったのではないか。

一人でも多くのいのちが守られ、

被災された一人ひとりに少しでも幸いが訪れることを、

心から願ってやまない。