飛紅真の手紙

フェミニストの精神看護専門看護師ブロガーが、自然、アート、社会問題を綴る。

自分のことを自分で決められる自由があるって素晴らしい 北朝鮮帰国事業から考えたこと

自分のことすら自分で決める権利がない社会が存在します。

そんな社会にもし自分が生まれたら、どう生きるだろう?逃げるのか?生き延びるのか?

 

北朝鮮の帰国事業によって離散した家族のドキュメンタリーを観て、涙が止まらなかった私。

ニュースや教科書では知り得ない、当事者の苦悩を目の当たりにしました。散々ニュースも観たし、韓国旅行もしたはずなのに、朝鮮半島のことをほとんど知らない自分を恥じました。

www.nhk.jp

 

「北朝鮮への帰国事業」

帰国事業が始まったのは1959年。1984年7月まで続き、約9万3000人の在日韓国・朝鮮人とその家族が北朝鮮に渡った。

1910年に日本による朝鮮半島の植民地支配が始まり、戦前には大勢の朝鮮人が日本に移り住み、在日朝鮮人の町ができあがる。

終戦を迎えると多くの朝鮮人(130万人)は朝鮮半島へ帰ったが、1946年の時点でまだ64万人の朝鮮人が残っていたが、朝鮮半島を横切る北緯38度に引かれたラインに分かれて北にはソ連、南にはアメリカが占領し、内戦状態で帰りたくても帰れない。

1948年に誕生した大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との間で主権を争う朝鮮戦争が勃発し、数年待てば統一した祖国に帰れるだろうと思い、多くの在日朝鮮人は日本に留まった。

在日社会にも北を支持する「朝鮮総連」、南を支持する「民団」に分かれ38度線が生まれる。差別と貧困に苦しむ在日朝鮮人を祖国に帰す名目で、朝鮮総連による「地上の楽園の建設」という宣伝や日本政府の後押しで推し進められた。

社会主義国の北朝鮮では修学や衣食住に関わる一切の費用を負担されると信じて北朝鮮に渡った93,340人の帰国者(日本語しか話せない在日朝鮮人2世や日本人妻も含まれる)は、北朝鮮での差別、迫害、貧困に苦しみ、亡くなった者も多く、現在も告発や訴訟が続いている。

 

1.「自分のため」に生きられる幸せ

在日朝鮮人2世のヤンヨンヒ監督は、朝鮮総連幹部の父、父と共に活動する母の元で育ちます。

父は帰国事業を先頭に立って後押し、「北に行って建築家になりたい」と望んだ高校1年生の次兄、中学三年生の三兄は北朝鮮に帰国しました。

さらに、朝鮮大学校に進み指揮者を夢見る長兄は、生誕60周年を記念する金日成主席への「人間プレゼント」として「社会主義建設の先鋒帯」200人に選ばれ半ば強制的に帰国しました。

ヤンヨンヒ監督は、ETV特集で、「最近までブルーが苦手で身につけられなかった。兄と離れ離れになった日本海を思い出す。

ブルーを見るとぼーっとしてくる」と、兄との離別が強いトラウマ記憶として語られていました。

 

北朝鮮で兄たちに会ってその厳しい暮らしぶりを知り、ヤンヨンヒ監督の葛藤はますます強く、悲しみは深くなっていきます。

1970年代の北朝鮮ではクラシック音楽さえも禁止され、オーディオデッキとレコード数十枚を持ち込んで帰国した長兄は、「クラシックを聴くという罪」で党中央から自己批判を強要され、貧しい地方に送られました。

ついに躁うつ病を発症し精神科病院へ入院。3度目に北朝鮮で長兄に会った際、病状は重く、レストランで食事中に立ち上がりオーケストラの指揮の真似をして絶叫したといいます。

 

祖国のため、両親のため、常に「誰かのため」に生きてきた長兄。

「自分のため」に生きることは許されず、精神疾患になっても誰からも責任を取ってもらえない現実。

ヤンヨンヒ監督は自由な日本で暮らしているのに「誰かのため」と自分を縛る人生はやめよう、どう生きたって後悔はするのだから「自分のため」に生きようと心に決め、

映画監督として歩みを進めます。

 

3人の兄とヤンヨンヒ監督との運命の差は計り知れないほど大きいです。

自分で決めることさえ保障されない社会に生きて初めて、「自分で自分のことを決められる自由」の尊さに気づくのが人間なのかもしれません。

いつ戦争、侵略、災害が起きて自国が崩壊するかなんて誰にもわかりません。だからこそ、日常生活の些末なことであったとしても「自分のことを自分で決める自由」をきちんと行使したい。

当たり前な権利だと過信するのではなく、方向が間違えば簡単に壊されてしまうものだということを忘れないでいたい。

どの時代に生まれるか、どの国に生まれるか、どの家に生まれるかは、自分で決めることはできません。

持って生まれた「宿命」だとしても思考停止することなく、どう生きたいのかちゃんと自分で悩んで決めたい、私はそう思います。

ヤンヨンヒ監督が家族を描いたドキュメンタリーノベル ↓ ↓ ↓

原作『兄 かぞくのくに』を基にしたフィクション映画 ↓ ↓ ↓

こちらも泣きました!静かな映画なので、やはり、原作とドキュメンタリー番組を観てからの方が帰国事業に対する理解がより深まって、セリフの行間がじんわり胸にきます。

かぞくのくに

かぞくのくに

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2.自分で自分のことを決めるとは、自分自身を大切に扱うということ

北朝鮮帰国事業に強い関心を持ち調べているうちに、17歳で帰国し43年間生き延びて2003年に14人の家族を残して脱北し、著作活動や講演を行っている川崎栄子さんの著作に辿り着きました。

北朝鮮政府に損害賠償を求め裁判を起こした5人の原告のうちの一人です。

日本での差別や偏見に苦しみ祖国に帰国しても、帰国者は北朝鮮では階級制度の末端で、仕事も済むところも自分では決める権利がないといいます。

凄惨な生活に耐えきれず精神に異常をきたし精神科病院で一生を過ごす人、自殺を選ぶ人も多かったそうです。

中でも強く印象に残ったのが、自殺は「国家への反動」とみなされるため、自殺者はモノのように棄てられ遺骨も戻らず、残された家族まで迫害を受けるので自殺すらも選べない、ということ。

餓死してもなお国民は国に対して「おかしい」と声をあげなかったこと。

人は自由を剝奪されると学習性無気力(どうせだめだと努力しなくなる状態)に陥ります。何とか生き延びようとする人間の生存本能とも考えられます。

そんな中で、川崎さんのように家族を置いてでも命がけで脱北を決断する人もいます。

川崎さんの場合は、帰国者の惨状を外に伝え、外から変えようという強い意志が脱北の原動力となりました。

これは自分にしかできないことだ、自分がやるべきだと考え尽くして納得して決断したのだろうと思います。

 

このような運命を左右する命がけの決断は、人生の中でそうそうあることではないけれど、

小さなことを一つ一つ自分のこととして決めるという積み重ねがないと、大きな決断は到底無理です。

何か大きな決断をするときというのは、日々どう生きているか(依存的なのか、自律的なのか)という姿勢が表れるのでしょう。

誰かに決めてもらおうだとか、決めずにズルズルする先延ばしにするだとかはもうやめよう。

自分のこと、家族のこと、仕事のこと、社会のこと、しっかり自分の意見をもって決められる人間でありたい。

自分のことを自分で決めるって、結局は自分自身を大切に扱うってことだから。

せっかく自由に恵まれた日本に生きているからこそ、丁寧に、丁寧に、一つずつ。

 

川崎栄子さんの著作。これが現実かと思うほど、「この世の地獄」がすごい。

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