飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

宮西達也原画展で考えた、大人が泣いてしまう絵本のド直球なメッセージの強さ。

絵と言葉がセットになると、逃げも隠れもできないほどメッセージ性も説得力もめちゃくちゃ最強になるなぁと、宮西達也さんの絵本を通じていつも思います。

宮西達也さんの絵本を読み聞かせると、親のほうがボロボロ泣いてしまうという現象は私だけではないと思います。

特に“ティラノサウルスシリーズ“は、どの絵本のタイトルもちょっと気おくれしそうなほどド直球です。

 

~宮西達也作 “ティラノサウルスシリーズ“から一部紹介~

『きみはほんとうにステキだね』

『あなたをずっとずっとあいしてる』 

『ぼくにもそのあいをください』 

『わたしはあなたをあいしています』 

『あいしてくれてありがとう』

『であえてほんとうによかった』

『いちばんあいされているのはぼく』

『わたししんじてるの』

『ずっとずっといっしょだよ』

「あいすることあいされること」

 

山梨県にある南部町立図書館に宮西達也さんが名誉館長に就任された記念として、

原画展「ゲへへナンダァーランド展」が開催されています。

ティラノサウルスシリーズが好きな私は、子ども2人と出かけてきました。

一階が図書館、二階が美術館という珍しい建物でした。

 

二つ目の展示室には宮西達也さんの絵本がずらりとならんでいました。

印象的だったのが、

子ども向けの絵本ではあるけれど、大人のほうが一生懸命絵本を読んでいたこと。

ド直球なかわいい文字のタイトルだけをみると、こわそうなティラノサウルスの表紙絵とのちぐはぐさに、「どんな絵本?」と気になります。

我が家がティラノサウルスシリーズを知ったのは、小学1年生の頃、長男が学校で絵本を借りてきたことから。

読み聞かせているそばから感情移入してしまい、泣いているのを隠せずついにはボロボロと涙を流し、「ママ泣いてるー!」とからかう長男も、涙を拭いている。

朝食の支度をしていた夫を確認すると、聞いていたのかやっぱり泣いている。

泣けるとの恥ずかしいのとで夫は笑い出す始末。

ティラノサウルスシリーズはどの本もだいたい泣いてしまう我が家にとって「親泣かせ」な絵本なのです。

 

私が号泣し、嗚咽して先が読み進められなくなった絵本は、

『そして、トンキーもしんだ』

たなべまもる作 かじあゆた絵

夫は小学校の教科書に出てきたらしく、「トラウマになった」「平和教育の押し付け」と断罪するほど、子どもが読むには残酷な戦争のお話。

 

そして、宮西達也さんのティラノサウルスシリーズの中でも群を抜いて泣いてしまうこの絵本。

『あなたをずっとずっとあいしてる』↓ ↓ ↓

 

宮西達也展で流されていたアニメ映像を何気なく観ていると「あなたをずっとずっとあいしてる」でした!

物語が進むにつれ、涙腺が崩壊してしまいました。

もちろん公衆の面前なので、涙を何とかごまかしました。

こちらはDVDで発売されているもので、即購入してしまいました(笑)

DVDはこちら ↓ ↓ ↓

宮西達也劇場 おまえうまそうだな Vol.2 [DVD]

なぜ、ティラノサウルスシリーズが泣けるのか?

大人がこれほど魅せられてしまうのか?

普段は言わない、言えない気持ちを代弁されたような面食らった感じになるのです。

「泣くのは男らしくない」「男は人前で泣くもんじゃない」といわれて育った世代の夫を見て考えました。

気持ちをそのまま言葉にして、泣いたり笑ったりすることほど、ド直球に伝わるメッセージは他にない、ということです。

気持ちと言葉・行動の一致はコミュニケーションの王道ということ。

ティラノサウルスシリーズでは、強くてみんなから嫌われ者の「孤独」なティラノサウルスが、

ちいさな恐竜や心優しい恐竜に出会い、慕われることで孤独な気持ちが解きほぐされ、素直になっていくというシチュエーションが多いです。

彼らからの言葉や献身に、泣いたり笑ったりもがいたりものすごく素直に反応して、最後にはド直球な言葉を発するようになり、命がけで献身するようになるのです。

なんか、その姿が滑稽なんだけれど人間らしさ(恐竜らしさ?)が垣間見え、性善説を信じたくなるようなお話ばかりです。

 

私たちは学校生活が始まるころには、相手からどう思われるか?を気にするようになって、

「言わなくてもわかるだろう」

「面と向かって言うのは恥ずかしい」

「言わぬが花」

「以心伝心」

と、いつしか気持ちを言葉にしなくなった私たち。

島国の日本は特にハイコンテクスト文化(言語や価値観などが非常に近い文化)で、

伝えるスキルや努力がなくてもお互いの意図が何となく通じ合ってしまう土壌だと言えます。

だからこそ、気持ちを言葉にする努力を怠ってきたともいえます。

けれど、近年は価値観や考え方の面で世代間ギャップが大きくなり、

気持ちや考えを言葉に出す人ほど

「空気が読めない」

「変わってる」

と嘲笑されることすらあるのではないでしょうか。

 

それでも、日常生活で相手に配慮しつつも丁寧に気持ちを言葉として出せる人というのは、その人の周りに人が集まってくるような気がします。

気持ちと言葉や行動が一致している人は、信頼感や安心感が半端ない。

ポジティブな感情は茶化したり皮肉ったりするのではなくそのままポジティブな言葉で伝えたいし、

ネガティブな感情も、相手との関係を大切に思うからこそ相手の心情に配慮しながらも伝えたい。

日本人って「すいません」があいさつになっているのがとても気になります。

何かをしてもらったときですら「すいません」が出てしまう。

やっぱりそこは謝罪ではなく「ありがとうございます」って感謝を伝えたいです。

 

子どもが生まれて、子どもが全力で「いやだ!」「やりたくない!」など、全力で泣いて地団太を踏みながら自分の気持ちを言葉にする子ども、

「ママが大好きなの」「ごめんなさい」とまっすぐ目を見て話す子どもを見て、

気持ちを言葉や行動に表すことの素直さ誠実さは人の心を打つし、一番伝わります。

大人も見習わななくてはいけない、基本のコミュニケーションです。

 

宮西達也さんのティラノサウルスシリーズは、

「気持ちの入った言葉」を失くした私たち大人の目を覚まさせてくれるものです。

普段は言えない、言っていない気持ちをたくさんたくさん言葉にしたい。

いいじゃないですか、ド直球。