飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

家族や社会の犠牲になった女性の生き方とは。海外に売られ売春を強要された少女たち「からゆきさん」。

からゆきさん。

「唐行きさん」=外国(唐天竺)に働きに行く意味で用いられた九州の言葉。

江戸末期から昭和にかけて、海外に性的人身取引(売春や性的搾取が目的の人身取引)されてきた多くの女性たちがいたことを、1冊の本をきっかけに知りました。

新装版 サンダカン八番娼館 (文春文庫)

1.からゆきさんとは?

口減らし(貧困のために奉公や養子に出すなど養うべき人数を減らす)のために「外国へ働きに出る」という名目で家族が9~16歳の少女を「女衒(ぜげん)」(売春斡旋業者)に売り渡し、

少女の多くは「綺麗な着物を着て接客する」「稼ぎもいいし白飯が食べられる」と騙されて密航させられました。

密航中にも船員にレイプされたり、劣悪な船底で亡くなる少女も多かったようです。

着いた先は日本の植民地だったアジア各国の「娼館」。

少女の「代金」だけでなく渡航費や身支度代などもすべて借金として背負わされ、それを返済するために売春を強要させられます。

一人の少女が一晩で多いときには30人(中には49人)ものさまざまな国籍の男性に対し売春させられます。

海外の娼館では性感染症に対する衛生管理が厳しく、一人を相手するたびに階段を上り下りして膣内を洗浄液で洗浄させられ、売春のためにとことん酷使されてきました。

その過酷な労働の果てに疲弊し亡くなる女性、性感染症の末に亡くなる女性も多く、

一方では、つらい売春よりは外国人に身請け(借金を女性に代わって支払い妻や愛人として娼館を辞めさせる)させることを選ぶ女性もいたようです。

十数年も売春を続け借金を返済しやっと帰国しても、女性は家族から感謝されるどころか、近所からの差別に苦しみ疎まれて肩身の狭い生活を余儀なくされ、中には自殺を選んだ女性もいたようです。

 

2.からゆきさんの背景にある女性の貧困

「からゆきさん」の多くが長崎県の島原地方や熊本県の天草地方から連れてこられ、江戸時代からの海外貿易の拠点であったことが関係するようです。

当時の日本では職業選択の自由はなく、家業を継ぐか年季奉公に出るというのがほとんどという中、

九州や関西地方の人にとって「海外出稼ぎ」が一つの生きる糧であり、人生を好転させる術だったようです。

家族や女衒に騙されて売買されることも大変残酷ですが、中には「出稼ぎ」という名の売春を知って家族のために自ら売買される道を選ぶ少女もいたと思うと、そちらの方が何倍も残酷だろうと思うのです。

日本では平安時代から女性による売春は存在し、次第に幕府が遊郭を取り締まるようになって「公娼制度」が確立されていきます。つまりは、国が売春を認め主導してきたのだといえます。

売春の背景にあるのはいつの時代も「貧困」です。

日本は特に家父長制が根強く、家業を継ぐのは男性の役割となるので、女性は口減らしの対象となることが多かったといえます。

家族が我が子を売買するという「究極の選択」を迫られるほどの貧困が、日本にもあったということ、そして現在も貧困格差は広がっている、ということは目を背けてはいけない事実です。

生きることもままならない貧困は、人間の正常な判断を狂わせ、思考停止に陥って「死ぬよりもマシ」「何が何でも生き延びよう」とする生存本能の方が勝るのかもしれません。

もし私自身が、からゆきさんを選ばざるを得ない女性たちのような貧困であったなら、どうするだろう?

そのような状況に置かれた親の立場だったら、我が子を売買するだろうか?

と自問自答せずにはいられません。

「貧困」から逃れるためなら何でもするのが人間なのだろうか?

「自分が弱者の立場だったらどうするか」

「からゆきさんという生き方を選んだ(生きざるを得なかった)背景には何があったのか」

を想像しない限り、性的人身売買の問題は解決しないと考えます。

権力をもった強者が弱者を搾取する社会、誰かが極端に犠牲になる社会、そういったことが当然とされ疑問を持たない社会というのは、とても不健康な社会。

売る側も買う側も、どちらも不健康な状態です。

売春や人身売買という方法で女性が長い間犠牲になってきたことは、繰り返してはならない史実として、

からゆきさんの存在やその後について、もっと多く語り継がれるべきと思うのです。

 

3.からゆきさんの行く末にある深い孤独

『サンダカン八番娼館』の中に出てくる元からゆきさんである「おサキさん」は、貧困のために家族の犠牲になって海外に売り渡されました。

帰国して何十年経った後も、近隣から「元からゆきさん」として蔑まれ、離れて暮らす息子にも敬遠され、村の外れのいまにも崩れそうな家で極貧の生活を送っていました。

家族の犠牲になって十何年も身を売って働き、故郷にお金を送ったりもしたのに、喜ばれず疎まれる点が、ただの出稼ぎとは違う、

からゆきさんのようなセックスワーカー(性風俗業)への根深い偏見だと思います。

一度も会いに来ない嫁と同じくらいの、からゆきさんのことを調査する女性史研究家である著者の訪問を心から喜び、娘のように慕う描写に、おサキさんの深い孤独を感じて私は何度も涙しました。

家族にも、故郷の人々にも、彼女を買春した無数の男性たちからも大切にされず、生涯、人としての尊厳を踏みにじられてきた「おサキさん」。

きっとおサキさんさんは、「自分は穢れた存在だ」と自分を責め、自分自身に尊厳を感じられないのではないかと思います。

人間にとって自己肯定感が持てないことが最も苦しいことではないでしょうか。

 

原作が映画化され、原作に忠実に描かれていて、主人公やおサキさん役の田中絹代の演技に涙しました。田中絹代はこの作品でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞しています。

「吉原炎上」は吉原遊郭で働いた女性たちが描かれて有名ですが、からゆきさんを描いた「サンダカン八番娼館 望郷」はなぜそこまで有名ではないのか?が不思議です。

この歳まで知りませんでしたが、この歳で何とか知れて幸運だったとも思います。

Amazonプライムで視聴しましたが、泣けましたね。 ↓ ↓ ↓

サンダカン八番娼館 望郷

「からゆきさん」については、いろいろな書籍をたどっているところです。

もっともっと「からゆきさん」について考え続けたいと思います。

現代の女性の苦しみ、ひいては海外の性的人身取引問題にもつながる共通項がある気がして、「史実」では片づけてはいけないと思っています。