「出る杭」だった千利休は豊臣秀吉の怒りを買い切腹させられた千利休を描いた映画を2本観て、光栄にも(?)から「出る杭」として打たれっぱなしだった昨年の自分に思いを馳せずにいられません。男性間での嫉妬と羨望も怖いけれど、男性から女性への場合はさらに根深いのかも?
1.男同士の嫉妬は怖い
ちょうど、NHKの「ザ・プロファイラー」で千利休について観ていたら、高校の現代文の授業で読んだ、千利休と豊臣秀吉との確執を描いた小説を思い出しました。
井上靖著(2021):『利休の死 戦国時代小説集』↓ ↓ ↓
脳裏に焼き付いていたのは朝顔のエピソード。“利休の屋敷の朝顔が美しいと噂を聞いた秀吉がぜひ見たいと訪れたら、朝顔は全部引き抜かれ茶室の床に一輪だけ活けられていた“ー
高校時代の私には「千利休はなんて底意地の悪いひねくれたおじいさん」(笑)くらいの、浅はかな理解でした。この歳になって改めて読み返すと利休の必死さや人間臭さが痛いほどわかる気がします。主君である秀吉に対し、刀を抜く代わりに「美」による決死のマウントです。何度も何度も「美」の刀で自尊心がズタズタにされた秀吉は、最後は利休に切腹を命ずる「権威」という最大のマウントを取り返す。・・・両者とも怖すぎです。男同士の嫉妬ってプライドを賭けた生存競争が根底にある気がして空恐ろしいです。
利休と秀吉の確執が超面白い!といろいろ検索していたら、二つの傑作映画に出会いました。どちらも絶対に観て後悔がないどころかしばらく胸に残って忘れられなくなります。
映画『利休』(1989)
原作を絶賛読書中!野上彌生子著(1964):『秀吉と利休』↓ ↓ ↓
人間臭い利休と秀吉に出会える名作で、二人の確執と切腹するまでの心理描写が秀逸すぎました。お互いに一目置きながら、絶対に認めるものか!という両価的な心理が働いて、決して相容れることのない永久のライバルなのでしょう。
映画『千利休 本覺坊遺文』(1989)
こちらはやや硬派に利休の死の謎をどこまでも追求した映画でした。『利休の死』の著者の井上靖による長編『本覚坊遺文』が原作です。↓ ↓ ↓
映画には女性が1人も登場しない(出る幕もない)という硬派さ。茶を喫して合戦に赴く武将たちのための「戦国乱世の茶の湯」「戦に負けたら切腹が男の美学」といった描き方が、硬派すぎ。秀吉との心理的攻防戦に利休は決して謝罪することなく「死」をもって秀吉に反撃したわけです。「自分のプライドや美学のためには死を選ぶ」という点は、女性だからか?理解はできても全く共感はできませんでした。自分の美学のために残された妻や子どもたち、弟子や武将たちはどうなるねん!というツッコミを入れたくなります(笑)。身勝手やな~。
「茶の湯」って戦国時代は武将の癒しのためであり、武将が自分専用の茶堂をもつことで自分の権威や富、教養や美的センスを誇示するものでもあり、「政治利用」の側面があったんだ、という深い学びにもなりました。
2.男から女への嫉妬はもっと怖い
最近ずっと利休と秀吉の関係を考えながら、仕事上で「出る杭として打たれる自分」について考えずにはおれませんでした。
昨年は、職場内の仕事だけにとどまらず専門雑誌や専門書への執筆、外部講師や共同研究など、職場外の仕事も一気に増えた一年でした。もちろん職場を通しての依頼であり、自施設の広報を兼ねていたとしても、上司から「外のことばかりで中のことは大丈夫なの?」と釘を刺され、「広告塔で頑張ってくれてるけど人が来ないねぇ」と嫌味を言われる日々でした(苦笑)。中のことが疎かになれば「それ見たことか!」と言われかねないので抜かりなくやっていても、職場外の活動をやればやるほど疎まれ、仕事でも成果を出したら出したで打たれまくる(笑)。幸い、周囲の理解もあり、超頑固者なので、自分の信念は絶対に曲げませんしやり続けますが(笑)。
職種も世代も性別も違う上司ですが、やはりお互いが目指す理想に、決定的な「相容れなさ」があることは明白です。
現在の私のポジションを与えてくれたのもまさにその上司であり、感謝と尊敬の念は絶えません。きっと上司が求めたことだけをやっているべきだったのであり、「かわいい部下」「女性は男性を超えてはいけない」「手の内で転がされておくこと」が上司にとっては必要だったのであって、決して「出過ぎた杭」であってはいけなかったのです。
3.私を踏みつけているその足をどけて
自分を茶聖利休と重ねるわけではありませんが、男性同士だったらこんなに打たれまくっただろうか?と疑ってかかってしまいます。「どうせやっても無駄だとたしなめられる」状況はまさに、「アスピレーションのクールダウン」(達成意欲をくじく)だなと思います。
「働けば家のことが疎かになる」「女は勉強する必要はない」「出世なんて考えず女の幸せを目指したら」「女らしく母親らしく」など、歴史的に働く女性やワーキングマザーは意欲をくじかれ抑圧されてきました。「男性のみなさん、私たちを踏みつけているその足をどけてくれませんか」というアメリカ連邦最高裁判官ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)の言葉が思い起こされます。
「こき下ろされるともっとやりたくなる」「もっと成果を出して悔しがらせたい」と思ってしまう私も、利休に負けず劣らずのずいぶんなひねくれものです(笑)。