飛紅真の手紙

自然、アート、社会問題を静かに叫ぶ。

吉田松陰という天才と狂気

幕末の知識が皆無の私は、山口出張の合間に萩で「吉田松陰しょういん」に出会い、稲妻に打たれました。

萩観光(出張のはずじゃ笑)から半月近く経ちますが、頭の中は吉田松陰でいっぱいです。YouTubeで幕末をお勉強したり、吉田松陰関連の書籍を読んでみたり、NHKオンデマンドで2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』(面白い!)を観たりして、吉田松陰の生き方に興奮冷めやらぬ感じです。

(1) 「人むすぶ妹」

 

1.歴史をよく知らずに生きてきた私

歴史の知識は中学1年くらいで止まっており、暗記や一夜漬けの「試験のための知識」しかないまま、専門知識だけ勉強してここまで生きてきてしまいました。

NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』を観ていると歴史が面白くて面白くて、知れば知るほど、「私はいままで何をしてきたんだ!」と自分を責めたくなります。

壁 世界を分断するもの

歴史ものの漫画とか、せめて大河ドラマだけでも一生懸命観てたら違ってたかも・・・とこの歳になっていまさらながら後悔。

しかし、中学や高校の歴史の授業って暗記中心で本当に面白くない!歴史ってさまざまな人の思惑が交錯するものだから、教科書に書けないこともあるし、見る立場によって解釈も変わってくるから教科書だけで学ぶのは無理でしょ←言い訳

 

2.狂気ともいえる貪欲さと愚直さ

吉田松陰は長州藩士の家系で、幼い頃から厳しい教育を受け、なんと10歳で兵学(戦術を研究する武士の学問)の師範として藩学校で教壇に立ち、11歳で藩主のお殿様に「兵学」講義をするほどの天才、神童。しかし、与えられた場所でただぬるま湯に浸かっているだけではないのが彼のすごいところ。

中国がアヘン戦争でイギリスに植民地化され、日本各地にも外国船が来航している危うい状況を知り、

「鎖国日本もこのままでは外国に侵略される!」

「長州藩も幕府もなぜ何もしない?」

「日本を守るためには西洋文明や兵学を学ばねば!」

と危機感を強め、21歳で日本各地に学びの旅に出ます。本や伝聞でから得る知識だけでなく、外国船をこの目で見なければ学べない、とどこまでも貪欲なのです。

この辺りから彼の狂気ともいえる愚直さがさく裂します。何度も処分されようが、藩や家族を裏切ろうが、国禁を侵そうが、死罪になろうが、自らの志を貫こうとするのです。

脱藩してまで東北へ外国船を見に行く

藩士の身分を剥奪される

藩主の温情で10年間江戸留学を許可される

浦賀にペリーの黒船を見に行く

攘夷(外国を撃ち払う)すべしと藩主をいさめる意見書を書く

国禁を侵し黒船に乗り込みアメリカ密航を懇願するが失敗に終わる

江戸で自首して投獄される

ペリーの恩情もあり死罪を免れ謹慎処分を受ける

萩に戻るが長州藩により投獄される

野山獄で囚人に講義し風紀を改善

出獄を許され謹慎処分となる

自宅で「松下村塾」を開き身分を問わず門下生を育成する

大老の井伊直弼が朝廷の許可を得ず日米友好通商条約を締結したことに激怒する

破約攘夷(条約破棄と外国を撃ち払う)について藩主に意見書を書き、弟子たちと老中暗殺計画を企てる

長州藩により松下村塾は閉鎖処分、再び投獄される

江戸に送致され尋問を受ける(安政の大獄=幕府による攘夷派の弾圧)

老中暗殺計画を自ら進んで告白し死罪となる

吉田松陰の最期

藩や幕府の政策にダメ出ししたり、密航を自首したり、老中暗殺計画を告白するあたり、あまりにも向こう見ずで馬鹿正直すぎ!

しかし、いつだって彼を何とか救おうとする家族や友人、弟子たちに囲まれているのが吉田松陰。

「まごころを尽くせば人は必ず動く。変わることができる」と信じきって全身全霊でぶつかる姿勢に、もしかすると本当に人は動かされるのかもしれません。

鎖国や封建制度の中でガチガチだった当時、「鎖国政策は時代遅れ」「もっと軍事力を強化しアジアを侵略して日本を守るべし」と下級武士が持論を展開するなど、長州藩や幕府からすれば死罪モノ。

けれど、全体の利益を考え、空気を読まずに痛いところを突く人とこそ、真のリーダーシップがある人です。さらに、言葉だけでなく「黒船に乗り込み密航しようとした」といった誰にも真似できない有言実行ぶりが、すべての人を黙らせる説得力をもち、尊敬を集めます。

「コイツに本当に暗殺されかねない」と大老(将軍の下に仕える最高権力者)井伊直弼を激怒(震撼?)させ29歳にして死罪となってしまいましたが、そのリーダーシップや熱意、遺した言葉の数々が、弟子や各地の武士たちを動かし明治維新へと駆り立てていくのです。

もはや預言者や教祖と同じ、狂気を持ち合わせた人だと私は思います。

 

3.狂気がないと時代は変わらない

萩には吉田松陰はじめ萩ゆかりの幕末志士を祀る「松陰神社」があります。吉田松陰愛がさく裂した弟子たちの悲願で建立されたそうです。どこもかしこも「松陰先生」と書いてあり、山口県民のみなさんの崇拝ぶりたるやすさまじい。

松陰神社

どこもかしこも「松陰先生」

そしてそして!幕末志士を育成した「松下村塾」が世界文化遺産として現在も大切に遺されています!!わずか2年あまりしか開講せず、吉田松陰は明治維新を見ぬまま亡くなりましたが、彼の狂気を受け継いだ若者たちが巣立っていきました。

 

萩が2015年に世界文化遺産に登録されていたことすら知りませんでしたが、そんな私でも名前を聞いたことのある(笑)偉人が誕生しています。知識ゼロ状態で幕末志士たちの誕生地を観てきました。

初代総理大臣伊藤博文 旧宅・別宅

高杉晋作の誕生地!

木戸孝允(桂小五郎)の誕生地!

吉田松陰は「何も成せずに死ぬことが恐ろしい」「死ぬことによって志が達成できるならばいつ死んでもよい」と弟子たちによく語っていました。

老中暗殺計画の辺りからは、弟子たちに止められたり、ひるんで離れていく者も出るほど、狂気は鋭さを増していきます。「志を持っているだけではダメなのだ。いまこそ行動でこそ示すのだ!」と弟子たちに老中暗殺を詰め寄ります。

さらに、処刑前日に獄中で弟子たちに宛てた遺書『留魂録』には、次のように書いています。

もしも私のまごころに賛同し、尊王攘夷そんのうじょういの志を受け継ぐ人があるならばその志は滅びることなく、私自身の人生が実りあるものであったと誇らしく思うことができる。同志よ、この事をよく考えてくれ。

<参照>松陰神社ホームページhttps://showin-jinja.or.jp/about/goroku/

「僕が死んだら君たちがやるんだぞ」と脅迫めいたものすら感じます。死を以て弟子たちに自分の志を示されたら、弟子たちはやらないわけにはいきません。もはや洗脳です。

「自分の命と引き換えなのだ。だからこの願いを聞いて、必ず行動してくれ!」という強烈な心の叫びです。

その後、弟子たちは吉田松陰の狂気を受け継いだがごとく、「長州テロリスト」と呼ばれるほど過激な行動を起こし、明治維新を成し遂げました。そして、多くの若い命が犠牲になりました。

吉田松陰は、自分の志を果たすために弟子たちを犠牲にしたと考えればよいのでしょうか?

死の前日に詠んだ辞世の句として有名な「大和魂」は、「誇りをかけた死」「自己犠牲」と解釈されがちですが、吉田松陰が伝えてくれているのは、保身や私利私欲ではなく、社会のこと国のためを考えられる「利他の心」なのではないかとも思うのです。

もっと広く全体を見て、未来のことまで考えて、自分を超えて他者を思いやれ、ということなのではないか、と。

まごころを持って話をすればきっと幕府も理解して変わってくれると信じ、老中暗殺計画を話してしまうほど、最期の最期まで愚直なのです。きっと誰よりも真剣に日本の未来を考えていたのでしょう。

若者たちが真剣に国の未来を想い、これほど熱狂することができるなんて…衝撃を感じると同時に、平和ボケした自分自身を顧みる思いです。

時代を変えるには狂気がないと変わらないのかもしれません。彼らから学べることはたくさんありそうです。身はたとい武蔵野の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂」

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」

わたしの身が武蔵の地で朽ちてしまおうとも、大和魂だけはとどめておいてほしいものだ。