山梨県は乙女高原に、草刈りボランティアに参加させてしてまいりました!乙女高原ファンクラブ開催の草刈りボランティア、今年で25周年になります。
1.乙女高原案内人になりました
7月に乙女高原案内人養成講座を修了し、めでたく?乙女高原案内人となりました!つまり、ボランティアで自然と人とをつなぐインタープリター(自然観察員)になったのです。
しかし、今年はまだインタープリターとしての働きはできておりません。来年度は観察会でデビューしたいと思っているところです!
2.人の手よって受け継がれてきた乙女高原
乙女高原は秩父山塊のふもと、山梨県山梨市にある標高1700mの亜高山性高茎草原です。降水量の多い日本では森林に飲み込まれてゆく森林遷移していくのが普通ですが、なぜかここだけぽっかりと草原です。
なんと、江戸時代頃から人間が草刈りし続けたことで草原のカタチを保ってきた、300年以上の人の営みの結晶だったのです!!
ふもと集落の共有のカヤ場、つまり草刈りをして刈り草を牛馬の飼料に混ぜたり、焼いて灰にして畑にまいたりしていたそうです。戦後はスキー場として開発され、管理のために初冬に草刈りをすることによって結果的に草原が守られてきました。
2000年にスキー場が閉鎖となり乙女高原は森林遷移の危機に瀕しますが、「いつまでも乙女高原を草原のままで残しておきたい」という市民が立ち上がって2001年に乙女高原ファンクラブを結成し、25年間も草刈りボランティアを続けてきたのです。スゴすぎる~っっ!!
乙女高原が大好きで個人的に13年ほど通い続けていますが、当初、乙女高原の歴史を初めて聞いたときにはものすごく感動しましたね。。。そのような高い志のお仲間に加えてもらえるのは、背筋が伸びる思いです。
紙芝居風のウェブページはココをクリック➡乙女高原の生い立ち
3.初参加の草刈りボランティア
草刈りボランティア自体も初めてなのですが、乙女高原案内人となったため、いきなりスタッフとして参加させてもらいました。
スタッフマニュアルもすごすぎました。山梨県や山梨市といった行政とタッグを組み、草を搬送するパッカー車や、送迎用バス、豚汁、さらには傷病者発生時の搬送病院まで用意してありました。官民一体となった自然保護活動です。
10ほどの団体と、ボランティア、総勢181名が乙女高原に集結し、山梨市市長よりあいさつをいただき、草刈りボランティアが始まりました。
私はキッズボランティア班。仕事内容はブナ爺さんの落ち葉のお布団敷き!!(笑)乙女高原の裏山には樹齢数百年のブナの木、通称「ブナ爺」が立っており、尾根に立っているため風雨に晒され、根元の土が崩れ根っこが浮いてしまいます。すぐ下の林道に積もった落ち葉を運び、ブナ爺さまの根元に敷いて差し上げる・・・という作業内容です。
集めても集めても無限に落ち葉があります。この大量の落ち葉を、堆肥化してウチの自然農畑の土づくりに使えたらいいだろうな~なんて指をくわえて夢想していました。
兎にも角にも寒すぎました!!集合の8時30分で1℃。元スキー場だから仕方ないですがその後も気温は上がらず。ずっと林の中やら尾根で作業していたため、風も強く体感温度はさらに低く、風邪の病み上がりだった我が家3人は、終始鼻水をたらしまくりガタガタ震えながら作業していました(笑)。
普段は立ち入り禁止の草原内を、この日だけは大手を振って歩けます。この後、刈ったばかりの刈草に足を奪われて、派手に尻もちをつきました・・・。お約束。
草刈り終了後は、ふもと集落の方たちが朝からずっと手作りしてくださった豚汁が振舞われ、お昼ごはんとともにいただきました。親子3人、大した働きをしていないのに2杯もオカワリしちゃいました!!
4.草刈りボランティアの人口減少と高齢化問題
半日がかりで広大な面積の草刈りが終了しましたが、代表世話人さんたちは「草刈りボランティアを始めた20年前はあっという間に終わった」「高齢化で刈り払い機の扱いが大変で刈り残しがだいぶある」と口々に話しておられました。人口減少で刈り払い機を扱える人数が足りず、草刈りが安定的に持続していけるかが大きな課題のようです。
安全面を考慮してスタッフもしくは団体のみが刈り払い機を使用します。参加していた10ほどの団体はどこも高齢化問題に直面しているとのこと。こんなところにまで、人口減少と高齢化の波が押し寄せているんだな・・・と言い知れぬ心細さを感じました。
乙女高原ファンクラブの立ち上げから現在までけん引してきた代表世話人さんたちはもうシニア世代。この先、彼らがいなくなったら乙女高原ファンクラブはどうなるのだろう?草刈りボランティアも、マルハナバチ調査や植生調査も無くなってしまう日が来るのでは?これは大問題。次世代の育成は喫緊の課題です。
教えてもらう立場、与えてもらってきた立場だった私たち世代が、今度は乙女高原を守る立場、恩返しする立場になっていかなければいけないんだな、とひしひしと感じたのでした。この切実な願いの受け渡しこそが、次世代へのバトンなのかも。