最初から最後まで泣くしかできなかった映画でした。
映画館で久々に鼻をかんでいました。
母親が子どもを守るように親子が焼け焦げていたシーンで嗚咽していました、早朝から。
8月1日に全国公開して、本日8月15日の終戦記念日で公開終了(私の住む地域では)という、一瞬の劇場公開でした。
それも早朝7時50分上映のみって、どゆこと・・・。
鬼滅の刃とジュラシックワールドシリーズの上映に押されてか、地方の映画館ではこんな有様です。
最終日の今日、お盆に関係ない病院勤務のため時間有給をもらって映画を観に行くのも、こんな朝っぱらから映画館で映画を観るのも初めて。それも原爆映画。
ここまででもツッコミどころ満載。
1.私たちにできるのは、生きること、忘れないこと。
本編で、「遺された私たちにできるのは、生きること、忘れないこと」というセリフが出てきて、どっちも大切だよな、と思いました。
亡くなった人、被爆者たちは、「なかったことにされる」「忘れ去られる」ことが一番悲しいだろうな、と。
忘れないためには、自分が生きるしかない。生きて、語り継ぐしかないものね。
80年前の悲劇を語り継ぐのは、映画の使命でもあるな、と再認識できた映画でした。
被爆者の平均年齢が2024年で85.58歳だそう。長崎の被爆体験を語り部さんから直接聴くことも、ほとんどできなくなっています。
幸いにも私は、長崎の被爆体験を聴く機会が高校の修学旅行先の長崎で1度ありました。「被爆した人たちが自分の腸を手に持って行進していた」という語りが、いまも脳裏に焼き付いて離れません。
被爆者本人から直接話を聴くのと、映画やTVで観るのと、本で読むのと、方法は違えど、「忘れないこと」に変わりありません。
直接聴けなくなる将来、忠実に真正面から原爆を描いた映画は貴重な遺産になるはず。この映画はきっと伝説になるはず。
ジュディス・ハーマン曰く、歴史は繰り返しトラウマを忘却してきたのです。当事者側の視点から語り継ぐことを、社会の責務として消し去ってはいけません。
そして今月、なんと2度目の被爆体験を聞く機会に恵まれました。長崎の被爆者の方の教育講演会に行く予定です。
なんだか、縁があるなぁ・・・と思わずにはおれません。
2.「赦す」とは?
長崎なので、大浦天主堂が出てきたり、クリスチャンの視点が出てきて、何だか救われる思いがしました。
自分にはどうすることもできない悲劇を前に絶望する時、人は試練の意味を問う。そんな時、「信仰があると救われる」、信仰がある人はやはり強い、と思ったのです。
クリスチャンの看護学生が、
原爆で丸焦げになった両親と妹を目撃し「アメリカが憎い」「原爆が許せない」と怒りに震える友人の看護学生に対し、
「私は赦す。ずっと赦さんで相手が負けるまで戦争を繰り返すつもり?」
「イエス様はどんな罪もみんな赦されるって」
と直球で向かっていました。
どうしたらそんな境地にたどり着けるのか・・・と思うけれど、本当の意味で人は人を裁けない。人間はみんな同罪だから・・・と考えると、確かにブーメランだな、と。
相手を赦さないと自分自身も赦すことも受け入れることもできないのかも・・・
などと、ぐちゃぐちゃと今も考えています。
観終わった後も延々考え続けてしまう後味の悪すぎる映画が、本当の意味でいい映画だな、と思います。
答えは出ないけれど、一生考え続けること、忘れないこと、後世に語り継ぐことが、現代の私たちにできる唯一のことです。
偉そうでスミマセン。
だけど、終戦記念日の今日は言わせてください。