飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

Dヲタがつくり上げたディズニーランドの消費文化~社会学から見たディズニーランド~

20年ぶりにディズニーランドに行ったことで、リピーター率90%越えのディズニーランドの魅力とは何なのか、ディズニープリンセスの何が5歳長女を惹きつけるのか深堀りしてみたくなり、ディズニーランドに行った後も徹底研究を続けることにしました。

ディズニーランドでバイト経験もある社会学者からの視点が非常に面白かったので、考えたことを書き留めておこうと思いまます。

 

1.私の記憶の中にあるディズニーランド

私が初めてディズニーランドを訪れたのは小学校の修学旅行。私も妹もねだることはなかったし、ウチの両親は旅行や行楽はなぜか田舎ばかりだったので、家族で訪れることもありませんでした。

1990年前後には新プリンセス三部作『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』によって世界的ディズニー人気が起こり、ディズニーランドは毎年入場者数が右肩上がり、修学旅行で行くような誰もが知る有名スポットとなっていました。

私が初めて訪れた1990年代前半はまだ一見客が多く、家族連れで訪れる場所でした。漫画少女の私にとって、ディズニーキャラクターの価値はゼロ。わずかな記憶は「ホーンテッドマンション」「ビックサンダーマウンテン」「スペースマウンテン」「キャプテンEO」などの刺激的アトラクション。

次に訪れたのは2000年代。もう大人になっていましたが、十数年ぶりに訪れたディズニーランドは、シートを敷いて昼のパレードをスタンバイする客、ディズニーキャラクターコスチュームやコーデをまとう大人の客の存在に気後れしました。「年間パスポートをもってディズニーランドに通うディズニー狂がいる」という話を友人から聞き、もはや、「家族で楽しむテーマパーク」ではなくなっている印象でした。

 

2.20年ぶりに訪れたディズニーランドの変貌

今回20年ぶりに訪れるにあたり事前の情報収集段階で驚いたのは、1/3以上は私が知らないアトラクションに更新され、DPA(ディズニープレミアアクセス=有料パス)が導入され、公式アプリ必須で完全にデジタル化されていたこと。異様に感じたのは、SNS社会を象徴するコスチュームやコーデをまとった客の自撮りの嵐。そして、Dヲタの裾野の広さ。ブログやYouTubeには「どのようにディズニーを攻略するか」というDヲタといわれるディズニーに習熟したオタクによって上塗りに上塗りを重ねられた裏情報(すでに表?)が溢れ、「ますます消費文化が加速しているな~」という印象でした。

 

3.オタク的心性がつくるディズニーランドの消費文化

妹家族のように毎年家族でディズニーに通う人にとっては、「ディズニーの世界感に浸りに行く」「非日常を堪能しに行く」というスタンスで捉えているように思います。

5歳の長女も「プリンセスがディズニーランドに住んでいる」と本気で信じていて、ディズニーランドは「プリンセスに会える場所」と捉えています。

一方、私のようにディズニーに関心がない人間にとっては、「(チケット代や旅費の)元を取りたい」「かかったコスト以上の価値を得たい」と、生産性やコストパフォーマンスを重視し、ディズニーランドは「消費の対象」でしかないのです。

私の場合、修学旅行で経験したアトラクションの楽しさが心のどこかにあり、いかに効率的にアトラクションに乗りまくれるかという「攻略」に、消費の意味を見出しました。「これなら私でも楽しめるかも!」と。社会学的に見ると実はこのような私のスタンスは非常にDヲタ的ということを知り、軽くショックを受けました(笑)。

『ディズニーランドの社会学』によると、顧客は4つに分類している点が非常に興味深いのです。

①一見客

②数回訪れたことがあるリピーター

③オタク・リピーター(Dヲタ)

④ディズニー原理主義のリピーター(ウォルト主義)

中でも③Dヲタの消費レベルとエネルギーは凄まじいものがあります。彼らの最大の関心は「いち早く」「どのグッズを購入しどのアトラクションに乗りどの食べ物を食べてどのイベントに加わるか」という個別のオタク的嗜好に応じた目的達成であり、消費することそれ自体が彼らにとってのアイデンティティを支えています。仕事のように「業績重視」で足早にパーク内を闊歩するきわめて目立つ存在。

しかもオリエンタルランドにとっては恒常的にお金を落としてくれるありがたい存在なので、オリエンタルランド側も年々、Dヲタたちの個別の嗜好を満たすべく、「Dヲタランド化」しているといいます。開園当初~1990年代まではあったウォルト・ディズニーが想像したディズニー世界やテーマ性は崩壊し、「アキバ」「ドン・キホーテ」のような「ごった煮化」「何でもあり」な空間がパーク内に作られていると指摘しています。パレードには物語が存在せず様々なキャラクターが登場するカオス、テーマに関連の薄いアトラクションやレストラン、グッズの一人歩きなどなど。

最近のディズニーの「限定○○」「プレミア○○」の多さはそういうことだったのか。ホテルの高級路線やグッズの多様化、ディズニーシーオリジナルキャラの登場も。「何か異様!」「ちょっと行きすぎ?」と思わせる核心部分だったんだなと深く納得したのでした。そうか、ディズニーランドがDヲタに柔軟に対応し、「オタク化」「マニアック化」していたんだと。

そして、「消費しつづける」「徹底的に消費する」こと自体が日本文化であり、「日本人のオタク的心性(大きな世界観より細部にハマる)」がディズニーランドにマッチし、ディズニーランドを最適化していったのだと著者は考察しています。「ディズニーランドすらも変えちゃう日本人って根っからのオタク!」といえるのかもしれません。

そして、驚くべきはオタクの存在は決して日本人の一部ではなく、情報が細分化し自分の嗜好で選び取れる時代に突入している現在、「1億総オタク化」も近いということ。Dヲタが特別な存在なのではなく、誰もが何かのオタクであるということなのです。決してDヲタを冷笑してなどいられないのです。「Dヲタランド化」したディズニーランドは客の個別の嗜好を満たし続け、Dヲタ以外の客が遠のくどころか、むしろ入場者数は右肩上がり。

 

4.オタクだからこそ気を付けるべきこと

私も一つのことを深堀したり、凝り出したら突っ走り止まらない、根っからのオタク的心性の持ち主なので、ディズニーランドの社会学的視点にはものすごく興味が湧きました。同時に、オタクは客観的にはそう見られているのかとハッとしました。オタクは我を忘れ、周りも巻き込むことがあるのだと自己反省。「ハマる自分にハマる」「推している自分に酔う」という陶酔状態になるのです。人は「客観性」を失くしたら終わり、すぐに「ヤバいヤツ」になってしまいます。また、油断すれば膨大なお金と時間と労力を費やしがちで、気づかぬうちに企業側にまんまと財産も人生も搾取され、カモネギ(鴨がネギを背負った状態)になりがちです。オタクこそ客観性を失くしちゃだめなのです。

今回の20年ぶりのディズニーランド行きも、「効率的にアトラクションに乗りまくる」ことを短期間に突き詰めちゃう情熱や原動力はいったいどこから来るのか、自分で自分が不思議でした(笑)。子どもたちや両親を振り回さないよう、要望を聞き取り入れることにも努めたつもりです。帰宅したその日、父は「ディズニーランドも楽しいもんだな。次はディズニーシーに行きたいね、テーマパークに行くのはそれが最後だな(体力的に)」と言っていたそうで、「やりすぎじゃなかったのね」と心からホッとしました。

ミクロに凝る視点(アトラクション攻略や効率的な回り方など)も大切ですが、時にはマクロな視点(ウォルト・ディズニーが創った世界観、ディズニーの歴史や社会的背景など)で全体を見る「俯瞰」的視点もオタクにとっては大切だと改めて思いました。

そういった意味で、経済学的視点や、歴史的視点、芸術的視点でディズニーに関連する本を読み漁っているところです。まだまだ私のディズニー研究は続きます。

ディズニーランドに関する過去記事はコチラ ↓ ↓ ↓

荒井克也著『ディズニーランドの社会学 脱ディズニー化するTDR』↓ ↓ ↓