飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

ディズニープリンセスはジェンダー問題と女性の自立を考える最高の教科書

ディズニー映画をまともに観たことがなかった私が、ディズニープリンセス好き5歳長女と一緒にディズニープリンセス映画13作品を観たところ、「一人ひとりの生き方がめちゃくちゃ示唆深い!」とがぜん興味がわき、ディズニープリンセスと女性の自立について、フェミニズムの歴史に沿って考えてみたくなりました。

 

1.観る上で知っておくべきディズニフィケーション

ディズニー長編アニメにはある共通の特徴があります。観る側がこれを知っているのと知らないのとでは、楽しめる度合いが段違いです。「原作と違う!」「単純で幼稚すぎる!」というよくあるディズニーアニメ批判でもあり、知っておくことで幻滅せずに済みます。それはディズ二フィケーション

ディズニーは原作からセックスとバイオレンスといった毒を抜き取り、善玉が生き残り悪玉を懲らしめる「勧善懲悪」と「ハッピーエンド」の物語に作り変え「無菌化」するのがディズ二フィケーション=ディズニーらしい原作のリメイク。映画が世界的にヒットすることで原作よりも影響力をもち、結果的に原作と入れ替わってしまうほど。*1

なぜディズ二フィケーションする必要があるのか?原作に忠実に描かないのか?それは「ウォルト主義」だから。

ウォルト・ディズニーはディズニー世界を「永久不滅の伝統文化」にすることを目指しました。映画と映画の間を埋める「消費文化」でしかなかった5分程度の短編アニメを、「伝統文化」としてハリウッド映画界に認めさせるため、全財産を投じ最新技術を駆使して世界初のカラー長編アニメ『白雪姫』(1937年)を制作しました。『白雪姫』の世界的ヒットでディズニーの名が広く認知されただけでなく、長編アニメという新たな映画ジャンルを築いたのです。*2

ウォルトは長編アニメを成功させるため、誰もが知る古典童話を題材に選ぶことで安心して観客(子どもと親)に映画館の入場料を払ってもらい、「子どもが観ても安心」「教訓が得られる教育的内容」にして観客を納得させる必要がありました。これがディズニフィケーションの始まりです。

長編アニメを世界中の映画館で楽しめるようになったのは、ウォルトのおかげだった。漫画の神様手塚治虫は「ディズニー狂い」で、ディズニーに感化されて長編漫画やTVアニメを制作したともいわれるほど、ウォルトはアニメの神様だったんですね・・・。無知な自分に恥じ入る思いです。

ディズニフィケーションの歴史的背景が理解できると、「単純で幼稚なストーリ」と容易に批判できなくなります。新たな価値を創造するためには、一人でも多くの人に知ってもらい、まずは受け入れてもらう努力が工夫が必要だということにも気づかされます。

私が子どものころに読んだ絵本や童話の多くは、すでにディズニフィケーションが済んだものだったことにも気づかされます(人魚姫やシンデレラ)。これだけディズニーアニメがグローバルメジャーな作品となったいま、原作を知らない子どもや若者は多いのかも。そもそも昔話は口承(言い伝え)により時代や社会背景に受け入れられやすく少しずつデフォルメされたものなので、ディズニフィケーションは現代社会を映し出している、という点でも興味が尽きません。

 

2.1930年~1950年のディズニープリンセス

『白雪姫』(1937年)、『眠れる森の美女』(1959年)での女性像は、原作と同じく王子のキスで救われるという受け身的な描かれ方なのですが、『シンデレラ』(1950年)では原作と違いとにかく自己主張が強くて物怖じしない女性として描かれています。

私が子どもの頃、擦り切れるほど読んだのはグリム童話の『灰かぶり姫』でした。引っ込み思案で気弱に描かれた灰かぶりを自分と重ねたものですが、ディズニー版シンデレラは「私にも(舞踏会に行く)資格があります」と継母に正々堂々と権利を主張する姿勢には、個人主義を通り越して「ちょっと主張強すぎない?」と呆れるほど。

『シンデレラ』をリメイクした1950年のアメリカは、第二次大戦や朝鮮戦争に出征した男性に代わって女性が働きに出た時代。「男性に頼らず自分の力で人生を切り開ける」と女性たちが気づき始めた時代。戦後の女性たちにとってシンデレラこそヒロインだったようです。*3

残念ながらウォルトが亡くなってから30年間、ディズニープリンセス作品は作られることはありませんでしたが、この後の1960年代から女性解放運動が起こった第二波フェミニズムの時代に突入するのです。

 

3.1980年~2000年のディズニープリンセス

私は童話の中でもアンデルセンの『人魚姫』が大好きで、「自己犠牲の愛」や「何かを得るためには何かを失う」という教訓めいたメッセージが幼心に響いたものでしたが、『リトル・マーメイド』(1989年)ではそれらが全く描かれず肩透かしを食らいました(汗)。

『リトル・マーメイド』のアリエルは、親からの自立と自由を求めるティーンの葛藤が描かれています。頑固親父も最後にはアリエルの生き方を尊重するところに、アメリカ社会の家父長制からの脱却を感じさせます。私がアリエルに強く共感するのは、「いつまでも可愛い娘じゃないの」という親からの反発心と自立心。

アリエルが自由と恋愛の両方を手に入れるハッピーエンドは、ディズニーがリメイクした20世紀と、アンデルセンの生きた階級制度が強い19世紀を比べても、「女性が自由に生きていい社会」「自分で人生を選び取れる社会」という、女性の生き方の変化を感じます。

『美女と野獣』(1991年)では、原作には登場しないガストンが、子どもにもわかるくらい「女性差別」を露骨に表現していて面白すぎます。読書好きで父親想いのベルは結婚願望のない女性。ガストンのようなセクシスト(女性より男性が優位である家父長制を主張する性差別主義者)との結婚などもはや迷惑でしかない(笑)。『アラジン』(1992年)のジャスミンは、女性が結婚相手を自由に選べない現実に堂々と父親に怒りを表現し、家出を決意する自立心の強い女性。

『ポカホンタス』(1995年)はディズニーには珍しくハッピーエンドではなく、英国人男性との結婚よりも家族や村に留まることを選択する先住民女性の悲恋が描かれています。『ムーラン』(1998年)では、ドレスではなく鎧を身にまとい、家族や村のために男性と肩を並べて戦う賢い女性が描かれます。もはやシンデレラのアンチテーゼ。ムーランは、花嫁に選ばれる側ではなく、「女性として」ではなく「自分らしさ」とは何かを見つめ、自分の力で何かを成し遂げたいという、一人の人間らしさが表れていて胸を打たれました。

たぶん父さんのためじゃなかった。

自分にもやれることがあるって証明したかった。

私の中の何かを見つけたかった。

『ムーラン』(1998年)ウォルト・ディズニーピクチャーズ

1990年代~2000年代は、ステレオタイプ化された女性像を否定し、女性が「多様性や私らしさ」を取り戻そうとした第三波フェミニズムの時代。アメリカでは「ライオット・ガール」、日本では「ギャル文化」がその象徴的な現象といわれています。「女性は弱い存在」といった固定観念に支配された女性の生き方に疑問を投げかけ、男性の力を介さずに人間としての成長を大切にし、女性を力強くエンパワメントするようなプリンセスの描かれ方にも納得です。

 

4.2000年~2020年のディズニープリンセス

『プリンセスと魔法のキス』(2009年)のティアナは、父親の夢だった自分のレストランを持つことを夢見て働きまくる女性。「仕事が楽しくて結婚なんて考えられない!」「結婚がキャリアの障害になる」という現代のキャリア女性の姿を見るようです。

『塔の上のラプンツェル』(2010年)は、自分の力ではなく男性に救い出され、結婚がゴールという点では2000年以降のディズニープリンセスたちの力強さにはかないません。5歳長女は長い髪のラプンツェルがお気に入りなのですが。

 

『メリダとおそろしの森』(2012年)『モアナと伝説の海』(2016年)ではメリダやモアナは女の子らしいフォルムでもなく、王位継承者であるメリダ、村長の娘であるモアナともに、リーダーが女性であることに疑問の余地すら挟まれず、勇敢なリーダー像が描かれており、対等な男女のあり方を感じます。もはやディズニープリンセスは性別すら超越しています。

『アナと雪の女王』(2013年)は諸般の事情でディズニー社の公式ディズニープリンセスには選ばれていませんが、アナの命を奪う魔法を解くのは男性のキスではなく、姉妹愛。もはや男性の愛を必要とはしていません。

2010年代から現在は第四波フェニミズムの渦中にあります。SNS社会が到来し、「#MeToo」運動に代表されるように女性が理不尽な性差別や性暴力に対して再び声を上げ始めています。これまでの歴史では考えられないくらい、声を上げられなかった女性たちの声がSNSによって可視化されるようになりました。「誰もが」「簡単に発信できる」という点が大きな違いです。ディズニープリンセスに多様性が見られるようになったのも、女性スタッフがディズニーのアニメーション制作に加わるようになり、女性の意見が反映されていった影響も大きいといわれています。女性たちの声が、ディズニー作品に反映されるようになったのです。

 

5.「私たちはどう生きるか」ーディズニープリンセスを題材に問い直す

私は母から「女の幸せは結婚して子どもを持つこと」だと子どもの頃から聞かされて育ちました。「女性」と一括りにされるのが大嫌いな私は、いまでもステレオタイプな価値観には全く共感できません。誰でもない、「私の生き方は私が決める」のですから。現代と比べ物にならないほど不自由で理不尽な時代に生きたディズニープリンセス一人ひとりの力強い生き方を、時には笑い時には涙を流しながら、「うんうん」と強くうなづきながら観ました。

フェミニズムの歴史に沿ってディズニープリンセスを観ると、めちゃくちゃ考えること学ぶことが多いと思います。多様性と包摂性が問われる社会に生きるこれからの子どもたちにはとってもいい教科書になること間違いなし。今後我が家でも、ディズニープリンセスを題材にして子どもたちとこれからの時代を「私たちはどう生きるか」について話していきたいと思います。

 

これまで、Amazonプライムでレンタルしたり、図書館で借りるなどして観ましたがあまりにリピートが多いので、遠出した時や幼稚園の送り迎え時に車内でも観られるようにと、思い切ってこちらのディズニープリンセス全12作品のDVDセットを購入。

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参考にした文献はコチラ。オススメ ↓ ↓ ↓

荒井克也著:『ディズニーランドの社会学 脱ディズニー化するTDR』 

ディズ二フィケーションについて、わかりやすく学べます ↓ ↓ ↓

有馬哲夫著:『ディズニーの魔法』

 

*1:新井克弥著『ディズニーランドの社会学』2016年

*2:新井克弥著『ディズニーランドの社会学』2016年

*3:有馬哲夫著『ディズニーの魔法』2008年