飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

性的人身取引された「現代奴隷」は私たちの身近にいる。

「女性が買われる」「女性が消費の対象になる」ということが、子どもの頃からずっと心に引っかかってきました。

「なんでだろう?」と、自分が納得できる理由を探すように、売春や性風俗産業についての書籍やニュース記事、マンガや映画を観たり読んだりして、子どもの頃からずっと考えてきました。

小学生の頃、子どもの目にもつく道端や山林、河川敷に捨てられたポルノ雑誌をよく目にしました。駅や通学路には「有害図書」を入れる白ポストが立っていたものです。

「何これ」「いやらしい」「汚い」と大人も子どもも、女性の裸が描かれたポルノ雑誌を「子どもの教育によくないもの」「汚くて有害なもの」と忌み嫌っていました。

女性が性の対象にされる=女性は貶められる存在なのだ、という自己嫌悪、セルフスティグマを子どもながらに脳裏に刻まれた経験でした。

小学校の頃だったか、地域の自治会、役場、警察、消防といった組織に属する男性たちが集団で東南アジアに旅行に行くのだ、ということは私の地域ではよくあることでした。いまでは聞かなくなりましたが、当時は日常茶飯事レベル。母や親戚が「また○○さんたち、タイに行ってるんだよ。男ってもんは困ったもんだ」くらいに話しているのです。

母は大人の事情を隠さず話すし、小学校4年生の私に性行為について具体的に性教育するようなぶっちゃけた女性だったので、ある時、

「男の人たちは外国に行って女性を買うんだよ」と教えてくれたのです。

大人の男性が、それも集団で、ただ海外に遊びに行っているわけじゃないんだ!という現実を知りショックと同時に、利害が一致してあれほど熱心に海外まで出掛けていく様子に、深く納得したのを覚えています。

その当時、私の地方でも若いアジア人女性と結婚する中年男性は珍しくなかったと思います。子どもながらにその組み合わせに違和感を感じていました。全員がそうだとはいいませんが、成り行きを聞くとスナックやキャバクラの常連客となった中年男性がホステスと結婚・・・という話が多かったと思います。

「からゆきさん」ならぬ「じゃぱゆきさん」たちもその中には多く存在していたのだろうと思います。

「じゃぱんゆきさん」と称される、1980年代から急増した東南アジア女性たちは、「興行ビザ」をもって来日させ、騙してホステスや売春を強要されていた、いわゆる「性的人身取引」が社会問題となりました。

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売春の裏側には、「性的人身取引」がある。

私の重要なテーマの一つである「性暴力」について昨年から専門的に学ぶようになって、「性的人身取引」関連の書籍を読み続けています。

2度目を観る勇気が持てない私が深いトラウマとなっている映画『闇の子供たち』(2008年公開、梁石日原作)や、『96時間』(2008年公開)など、ドラマで描かれてきた性的人身取引が、「本当にあるんだ」と確信させてくれたのが、こちら。

インド人経済学者が世界のあらゆる国に潜入取材し、何百人もの被害女性たちにインタビューした2009年に書かれたルポタージュ。

シドハース・カーラ著、山岡万里子訳:『性的人身取引 現代奴隷制というビジネスの内側』2022年出版 ↓ ↓ ↓

性的人身取引――現代奴隷制というビジネスの内側 (世界人権問題叢書)

性的人身取引とは、

性産業(日本で言えば「性風俗産業」で性を搾取するために、主に女性・少女が売買され、支配されること

p371 「訳者あとがき」より

その手口は、性的人身取引あっせん業者に女性や少女がだまされ、時には誘拐され、脅迫や暴力、薬物で支配され逃げられない状態にさせられた後、売春を強要され、搾取されます。

まさに、「現代奴隷」です。

世界奴隷指標2023年では、160か国の現代奴隷は4960万人と推定され、5年で1000万人ほど増えたとされています。4人に1人は児童で、54%が女性です。

外国から連れてこられた日本の性風俗産業で働いている現代奴隷もいるとされています。

しかし、日本人も性的搾取目的の被害にさらされています。もっとも身近な現代奴隷は、児童ポルノや児童買春、AV出演強要やJKビジネス(援助交際、パパ活、立ちんぼと呼ばれる路上売春など)などに絡めとられた女性や少女たち。

被害を受けている当事者自身が「奴隷の自覚がない」ということが、現代奴隷から抜け出しにくい要因。まさに、グルーミング(手なづけ)によって支配されているからでしょう。

性的人身取引の被害者の99%は女性といわれています。

ここまで女性ばかりが性的搾取に遭う理由を、「身体的特徴」「貧困」「孤独」「知識不足」だけで片付けてはいけない、と考えています。

「女性は男性を世話する存在である」「女性は貶められる存在である」「女性だから仕方がない」という歴史的に社会が作り出した価値観・スティグマ(烙印)にこそ、あるのではないか?

それは私が心底嫌う「家父長制」の価値観が作り出したものであり、私が小学生時代に無意識的に社会から植え付けられたセルフスティグマそのものです。

現代奴隷は身体の自由だけでなく、精神の自由さえも奪われます。現代奴隷になるずっと前から女性は無意識下にそのリスクを抱いているのかもしれない、と思うと・・・とても恐ろしく、悲しく、不幸だなと感じます。

「私は大切にされる尊い存在である」「私は平等に扱われる存在である」という当たり前のことが、世界中、日本中の多くの女性が感じられていないとしたら?

世界146か国中125位の低さであるジェンダーギャップ指数の日本の女性たち、少女たちならどうだろう?

そうした女性や少女のセルフスティグマに付け込まれ、現代奴隷にされるリスクと日々隣り合わせなのかもしれない。いまも、どこかで誰かが被害にあっているかもしれない。私はそう考えずにはいられないのです。

このテーマは1度ではとても語りきれないので、今後も続けます。