飛紅真の手紙

フェミニストの精神看護専門看護師ブロガーが、自然、アート、社会問題を綴る。

関心をもってもらえることと、誰かに伝えたいと思うこと。

初めて他のブロガーさんに私のブログの記事を紹介していただきました。

感動したのが、記事リンクを貼っての引用だけでなく、「飛紅真(私)はどんな人だろう」「ひっそり書きたいタイプなのかな」と、あれこれ思案し、配慮しながらブログ自体を紹介してくださった点。 ↓ ↓ ↓manaasami.hatenablog.com

紹介していただいたのが、日本版性暴力対応看護師(SANE-J)の資格を取ったことを書いたコチラ。↓ ↓ ↓

www.hikoushin.com

 

今回、私の記事を紹介してくださったという経験から、2つのことを考えました。

1.関心を持ってもらえるということ

記事に書いた「内容」だけでなく、「どんな思いでこの仕事に関わろうと思ったのか」「飛紅真ってどういう人だろう」と私自身の背景に関心を持ってもらえるというのは、発信者として光栄なことです。

性暴力関連の記事だけでなく、違ったテイスト(自然農の家庭菜園とか)の記事にも関心を持っていただけている、という点も大変嬉しいことです。切り口は違っても、背景にある私が大切にしている考えや人格を理解してもらえることが、私のブログ発信の原動力でもあります。

関心をもってもらうきっかけは「ある記事の一部」かもしれないけれど、どの記事にも共通する私のスタンスや価値観が、読んでくださる方に伝わったら嬉しいです。

なぜ私は資格を取得しようと思うほど性暴力にこんなに関心があるのかというと、「人の尊厳」を根底から揺るがす暴力であるということが、私にはいても立ってもいられないからでした。

特に立場の弱い人が尊厳を軽んじられるということが「耐えられない」といった方が近いでしょうか。精神看護を極めたいと追求し続けて現場から離れられないのも、精神障がいはどんな病気よりも偏見が根強い障がいだからでした。

・・・ご紹介いただく中で、そんなことを自分自身の中で反芻していました。

 

manaさんは過去にご自身のDV回復についてのご経験を本にしたり、当事者が集まれる掲示板をつくったりとバイタリティがある方、とお見受けします。「こういう意図で書きます」「これを伝えたい」というメッセージがいつも明確で、率直に飾らず「等身大」で表現されるかっこいい方、という印象です。

一方で、ご自身の「傷み」と向き合いながらも、被害者や加害者やさまざまな状況に置かれた人たちと交流され、交流の場である掲示板やホームページをつくってきたご経験があるからか、人に対するあたたかく繊細な配慮を感じます。ケアラーですね。

こうした「人に対する配慮」って、ネット上の関係であってもとても嬉しいものです。そうした「人となり」がにじみ出るようなブログを私も目指したいです。

 

2.誰かに伝えたいと思うこと

もう一つ考えたのが、「誰かに伝えたいという思いが受け手に伝わりにくい」、という私の特徴。

私は「ひっそり書きたいタイプ」に自分を演出してしまっていることに気づきました。これは私にとって、とてもありがたい気づきでした。

私のブログの説明文“宛てもない手紙のように綴る“からしても、「きっと誰にも読まれないだろう」「最初から期待してない」という前提のように受け取れます(笑)。

以前FC2ブログで書いていた時は「綺麗で美しい自然」についてのみ発信していました。つまりは自分のポジティブな面だけを切り取って発信する、すご~く限定的なブログでした。

けれど、結婚や育児、進学、仕事などなどさまざまな人生の変化を経験して、綺麗でポジティブな部分だけじゃなく、自分も含め社会や人間の汚いネガティブな部分も、自分の意見を伝えたくなってきたのです。

そこで、自分が考えていることを発信するブログへリニューアルしたくて、半年前にはてなブログへお引っ越してきました。

私は、よく見た目を「涼しそう」といわれるのですが、中身はめちゃくちゃ情熱的で暑苦しい!見た目は静、中身は動。かっこよく自分を演出したい、よく見せたい、と取り繕ろおうとする部分もどこかにあるんだと思います。

アートの道を志していた幼い頃から「誰かに伝えたい」「多くの人を感動させたい」という思いは人一倍強い方じゃないか、と思います。その割には、自己主張するのは苦手(泣)。

こう見えて(?)、ものすご~く伝えたい熱量があります(笑)。

なのに、伝わりにくい・・・もどかしい・・・

このギャップは自分の特徴として受け入れつつも、目指すは自分の「等身大」を映し出すようなブログ!

もっと自由自在に!

フォレンジック看護 性暴力被害者支援の基本から実践まで