飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

<前編>親離れ子離れのきっかけになる実家の断捨離

いまから6年前に実家の断捨離を決行したのですが、いま思えば親離れ子離れの重要なきっかけだったな、と思います。大学卒業後すぐ実家を出て表面的には自立したとはいえ、実家を倉庫代わりに自分の荷物を当然のように置いていた私。子どもの頃からの荷物を段階的に処分してきましたが、それでも処分に踏み切れない荷物を置かせてもらっていたというのは、明らかな親への甘え。いい大人になっても、本当の親離れができていない人って多いのかも。

そういう意味でも、実家の断捨離は親からの心理的な自立=「親離れ」であり、親も第二の人生=「子離れ」の儀式だと思うのです。

 

1.ライフステージの変化と実家の断捨離

実家の断捨離をすることになった引き金は、妹と私の結婚と第一子出産が続いたことでした。自分たちが置かせてもらっていた荷物に加え、出産後の実家への里帰りで赤ちゃん用品が増え、一軒屋は明らかにキャパオーバー。

恥ずかしながら、6年前の私は断捨離の「だ」の字もないくらい片付けが苦手でした。母から「あなたたちの荷物いつ片付けるの?」など、苦言を呈されることも増えていき、いい加減母に任せきりだった自分たちが「申し訳が立たない」「肩身が狭い」と思うことが増えました。

両親はというと、母は整理整頓が上手な綺麗好きな性格でしたが、それとモノを捨てる&所有しないこととは話は別。とにかく服のたぐいを全く捨てずに生きてきたのです。父はオーダーメイドスーツを作るくらいおしゃれ好きで、時々実家に帰るといつも新しい服。そんな両親の暮らす実家はタンスだらけ&服だらだったのです。

赤ちゃんと寝ていた一階の和室も、タンスでひしめいていたので、「こりゃ地震がきたら危ない」と感じたし、押し入れも衣装ケースや客用布団がぎっしりで、もはやすき間もなく何も入らない状態。昔から二階の衣裳部屋は、両親の若い頃のブランド服や私や妹の服など「古い衣装の巣窟」となっていて、押し入れもタンスも服でぎゅうぎゅう。

何が入っているかのぞくと、背中にゼッケン(時代・・・)を縫い付けた中学のジャージが出てきて「こんなのまだあったんだ!捨てていいのに~」(←全くの他人事)と驚くほど古い衣類まできれいにしまわれていました。

仕事に復帰して育児にも慣れた頃、「このままではいけない!みんなで実家を片付けよう」と思い立ち、母と妹に「粗大ゴミの日に合わせて実家を片付けよう。男性陣にも協力乞う!」と号令をかけ日程調整をして、3家族で取り掛かることになったのです。

 

2.驚くべき一軒家の収納用量

「やるよ!」と決めると行動が早いのがウチの女衆。母はずっと片付けたかったようで、粗大ゴミの日に合わせた3家族による片付けXデーよりも先に、母と妹とで押し入れの衣類を処分し始めていました。

妹から「和室の押し入れから出たごみ・・・」「もはやごみ屋敷!疲れたー」と写真付きでメッセージが。

Xデーはデリバリー寿司を注文し、大人6人で片づけを決行しました。

男性陣はタンスや化粧台、パソコン台、コンポ、テレビ台など大型家具を運び出し、粗大ゴミに出しました。女性陣は食器や衣類、雑貨などをひたすら選別してゴミ袋にまとめていきます。

6年前のある日の記憶って、思い出そうとしても断片的なものですね。印象深かったこととしては、Xデーの1日だけでゴミ袋が50袋ほど出たということ。一軒家の押し入れは驚くほどの収納力があるのです。タンスはそれだけで何十年も衣類をしまっておけるので、注意してかかったほうがいい要注意ツールだと思いました。

結婚当初からあるという花嫁道具の化粧台なんて、母はもう何十年も使っておらず、ただジュエリーなどをしまっておくだけなのにバカでかくて、無用の長物と化していました。花嫁道具のタンスなどの大型家具というのは、高価だし一度購入したら「捨てる」という選択肢すら思い浮かびにくいのかもしれません。花嫁道具の日本人形、出産祝いの8段飾りの雛人形も処分を決めました。

家族4人で生活していたときのままの食器棚も、ギチギチに詰まっていました。両親2人が日常的に使うのはそのうちの決まって数枚。ほとんどがたまに遊びに来る子どもや孫のための食器だったり、捨てずに入れっぱなしの古い食器でした。

 

3.母の戦利品

片付けたい母とバトルになったのも食器の処分でのこと。

「これもずっと使っていないじゃん!こんなに何枚もいらないでしょ!」「片付けたかったんじゃないの?」と、私も妹も母を説得しますが、「それもみんなが来た時に必要だよ~!」と守りに入り、しまいには、「そんなに捨てたら使うものが無くなる!」「もう知らないから!」と感情露わにスネていました。

断捨離を学んだいま考えると、随分と強引なことをしたなと反省。思えば私が準備する食卓なんかよりもずっと、母の方が大皿でいくつもの料理をふるまってくれていました。食事でもてなすことが好きだった母にとって、いろいろな形の食器が必要だったんだなあとしみじみ思います。このお皿であれを食べたな、とか今でも思い出せます。

フルタイムで家事もほぼ一人でこなしていたのに、料理に関しては毎日買い物に行っていつも最大限。いまでも子どもや孫が来ると惜しみなくいろいろ料理してくれる母。同じワーキングマザーでも私はそこまでは絶対にできない・・・無理~と改めて尊敬しますが、一方で「そうはなりたくはない」とうのも本音。

何十年も保存しておいた衣類はじゃんじゃん捨てられるのに、思いの外、母にとっては食器の方が思い入れが強かったのです。台所が母の存在意義の一つであり、母として妻としての重要な場所だったのかもしれません。台所にはノータッチの父、台所を一人で切り盛りしてきたという母の自負が詰まった場所。私の戦利品を簡単に捨てられてたまるか!という母の叫びが聞こえてくるようでした。

~後編に続く~