6年前の2017年の実家の断捨離前編はコチラ↓ ↓ ↓
1.家族にとっての区切り
実家の断捨離Xデーは、大人6人がかりで無事に終わりました。
私と妹が子ども部屋に置きっぱなしだった荷物もほとんどを処分できました。
途中母が食器を捨てられすぎてスネる場面もありましたが、それでも全体的に納得がいく断捨離になったようです。解散後、母から家族のグループチャットでお礼のメッセージがきました。↓ ↓ ↓
このメッセージの後、「化粧台の椅子が寂しそうに残されています」と母から報告があり、嵐のような片付けの最中、服が上に載っていたため椅子を捨てそびれたんだと気づき、笑えました。
両親と私と妹で「これ、懐かし~!」「何これ~!」と言いながら荷物を選別し、子どもの頃からの自分たちの成長や家族の思い出を確認し合い、「もうこれは必要ないよね」と決着をつけることができ、家族にとっていい区切りだったと今でも思います。
2.本当の断捨離の始まり
実家の断捨離はこれで終わりではなく、ここからが本当の断捨離の始まりだったのです。両親の変わりよう・・・心境の変化と言ったらすごいものがありました。
断捨離Xデーから2年後の2019年。
両親は自分たちで衣類を処分したことで不要になったいくつものタンスを処分したくなったこと、庭にある物置の中身や廃タイヤなど物置周辺のガラクタを処分したくなったことから、自分たちでコンテナごと処分してくれる引き取り業者に頼んだのです。
60代の両親だけに大型家具の処分は無理なので、私と妹の夫婦で別日にそれぞれ片づけを手伝いに行きました。
巨大な鉄筋コンテナが実家の庭に到着。確か2週間ほどの期間置かれていました。
物置の中身を運び出しました。中身は、餅つきをしていた木の臼、白菜の漬物用樽、植木鉢などなど。
両親がマイホーム購入時に設置した30数年前の物置は、雨ざらしでこんなに錆びて劣化していたようです。↓ ↓ ↓
とうとう、台所の壁一面を占める大きな食器棚もモノのサイズに合わなくなったと確信したのか処分を決め、次に実家を訪れた時には両親2人分と来客用の食器を収納できる腰高くらいのコンパクトな白い食器棚を新調していました。
さらに、リビングの3分の1を占めていた巨大なコーナーソファも皮が破れていたので処分したようで、2人掛けのコンパクトなソファに切り替わっていました。古いソファは家具店が引き取ってくれたようです。
3.実家のリフォーム
さらにその2年後の2021年。
母が65歳で勤めていた会社を完全に定年退職し、退職金で実家のすべての壁紙を張り替え、和室のふすまを新調し、外壁を塗り直し、ブロック塀を取り壊してフェンスを建て、父の念願だった屋根を張替え、両親念願のカーポートを庭に増設したのです。
リフォームは聞かされておらず、突然メッセージアプリの完成写真で知らされたのですが、外壁も白とベージュのツートーンカラーだったのがダークブラウンになり、屋根もピカピカ、新しいフェンス、錆びだらけの物置も新調し、立派なカーポートが経っている写真を見た私は、
「んん??これはどこの新築の家?」
と、しばし思考停止するほど、ビックリ仰天しました。


後日、ピカピカになった実家を訪れた私は、
「何でリフォームすること教えてくれなかったの?」と聞くと、母は「言わないよ~」とニヤニヤ。ここまで断捨離を手伝ってきたのに~!と娘としては内心ちょっとムッとしましたが、
子どもたちを驚かせたかった気持ちと、リフォームに母の退職金の大半を投じることを子どもたちに止められるのが嫌だった気持ちをなんとなく察した私。
まあとにかく綺麗になった実家を見回して、「よかったね~!家が綺麗になって気持ちよく第二の人生を送れるね~」と一緒に喜びました。
ここまでいくと予想を上回る断捨離ぶり。明らかに両親はいまの生活を楽しんでいます。子離れどころか、夫婦で暮らしをワンランクアップさせる、大きな変化を遂げたのでした。
壁紙の張替え、外壁の塗り直し、屋根の張替えは「リフォーム」というよりも「必須メンテナンス」です。壁紙・外壁塗り替えは新築10~15年後、屋根張替えは20年~30年後に必要と言われています。
ところが、失われた30年の不景気真っ只中を乗り切った両親は、当時金利3%で住宅ローンを組んでマイフォームを購入してからは、今度は子ども2人の教育費が大きくなり、メンテナンスまでの余裕がなかったといいます。
苦労して購入したマイフォームがあちこち傷んでくるのを見続ける、というのは、なかなかつらいことだったろうと思います。自分たちの生活の拠点である住居を大切にメンテナンスして使うって、生きる基本だなと両親の姿を見て感じます。
それにしても、恐るべし断捨離。
おしゃれ好き車好きの父は、私と妹が車を新調したことに刺激を受けて、いまはプリウスに乗っていますが「次は俺の番。今度はカローラだな!これで最後の車かな」と宣言中。定年後も元気に継続雇用中の父は、無駄遣いをせずお金を貯めながらカーライフを楽しんでいます。
母は母で定年退職したとはいえ、勤めていた会社から仕事を頼まれ在宅でできるアルバイト継続中。お小遣い稼ぎにもなるし、「頼りにされる」という社会の中での役割をしっかりと持っています。
以前から私は、「老後」「余生」という言葉はあまり好きではありません。死ぬまで好きな仕事や趣味をしながら生きているなら「いつだって現役」でいいじゃん、と思うのです。
仕事と子育てが一段落して第二の人生を楽しむ両親を見ていると、こんな風に60代以降の生活を楽しみたいなと、自分の将来の見通しも明るくなるような気がしてきます。