飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

解離性同一性障害(DID)を描く映画『スプリット』と『フランキー&アリス』との決定的な違い

解離性同一性障害(DID)は、かつて「多重人格障害」として知られ、誤解や偏見を受けることが多く、日本では滅多に診断されることのない精神障害です。DIDを描いた二つの映画を比較して「描かれ方でこうも違うものか!」と驚嘆しました。

 

1.誤解と偏見を受け続けてきたDID

一人の人間の中に複数の人格が現れる症状は、18世紀から記録が残されています。精神分析医フロイトと同時代に活躍したピエール・ジャネが「解離」として初めて研究で明らかにしました。

『イブの三つの顔』(1955年)、『シビル:私の中の16人』(1973年)など、実際の症例がセンセーショナルに出版・映画化されたことで、多重人格障害がアメリカ社会に認知されるようになりました。

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10年ごとに改訂される精神疾患の国際的な診断分類(DSM)では、多重人格症状はそれまで「ヒステリー神経症」の一症状でしたが、1980年に改訂されたDSM-Ⅲで「多重人格障害」という単独の疾患に格上げされました。

さらに、ベトナム戦争帰還兵や、児童虐待の増加といった外傷性ストレス障害への理解の深まりといった社会的な背景が後押しして、「多重人格障害」と診断される人が急増しました。一方で、「患者の虚言や演技ではないか」「催眠療法によって作り出された医原性疾患ではないか」と多重人格障害の診断に懐疑的・批判的な研究者も存在しました。*1

『24人のビリー・ミリガン』(1981年)が世界的ベストセラーとなるなど、DIDと凶悪犯罪を結びつけてセンセーショナルなイメージをもたれやすく、「多重人格障害」と「人格障害」(境界性パーソナリティ障害など)という診断名を混同しやすいことなどから、1994年に改訂されたDSM-Ⅳでは「多重人格障害」は「解離性同一性障害」に名称変更されました。けれど、一般社会では「多重人格」と呼ばれることの方が多く、映画や小説、漫画などで格好の題材にされやすい精神障害です。

 

2.DIDと超能力を結びつけ異常性を前面に描き出した『スプリット』

『スプリット』(2016)は、性的虐待の過去をもつ女子高生が、24人の人格をもつ男性に誘拐されるストーリー。監督は『シックス・センス』『サイン』を監督したM・ナイト・シャラマン。どの監督作品も人間の心理をえぐりめちゃくちゃ面白い、大好きな大好きな映画監督の一人です。本作は単体で観ても楽しめますが、"超能力は存在する"というテーマで描いた3部作『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』シリーズとして観ても楽しめます。

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エンターテイメントと割り切って観るとめちゃくちゃ面白く完成度の高い作品ですが、精神科医療の文脈からみると「これは精神障害やDIDへの偏見が強まるだろうな」とかなり危惧しまう作品です。大好きな監督の作品だけに複雑な心境です。

要するに、DIDを描くほとんどの映画作品と同じ、凶悪犯罪や連続殺人と結びつけて異常性を前面に出す描き方なのです。人格交代するシーンや、DID研究権威の精神科医が登場するなど、リアルを追求しているだけに、DIDについて予備知識がない人が観ると「DIDは凶悪犯罪を引き起こす」「DIDは怖くて不気味」というセンセーショナルな印象を強く残すでしょう。本作のクライマックスでは超能力的な身体能力の人格が登場しますが、記憶、言語、筆跡、体質、五感などが人格によって変化するDIDの特徴を極端にデフォルメしているなと感じました。

事実、性暴力被害の当事者でDIDをもつ人の講演を3回聴いた経験がありますが、「自分自身がDIDと気づくまでは偏見を持っていた」「『スプリット』のようにDIDをモンスターや犯罪者のように描かれると怒りと悲しみが湧く」「偏見や誤解を解くためにDIDを語り続けたい」とおっしゃっていました。映画は非常に影響力をもつものです。

凶悪事件の犯人像としてDIDを描くというのは1980年代から変わらず残念ですが、本作のもつメッセージ<虐待によるトラウマが人間不信やDIDの発症につながる>は、トラウマのもたらす甚大な影響を理解する手掛かりにはなると思います。

 

3.小児期逆境体験(ASEs)がもたらず社会全体への影響

『スプリット』では小児期逆境体験が人間にもたらす甚大な影響を伝えています。1995~1997年に米国疾病予防管理センター(CDC)による小児期逆境体験(ACEs)研究では、アメリカ中所得層以上の1万7千人対象に、18歳以下での下記10項目の体験とその後の健康状態を調査しました。

小児期逆境体験(ASEs)10項目 ※各1点、計10点

①身体的虐待

②心理的虐待

③身体的ネグレクト

④情緒的ネグレクト

⑤性的虐待

⑥家族のアルコールや薬物乱用

⑦両親の離婚

⑧母親に対するDV

⑨家族の精神疾患

⑩家族の服役

 

ACEsスコアが4点以上の人は0点の人に比べ、成人になってから抑うつ4.6倍、アルコール依存7.4倍、自殺企図12.2倍、薬物依存10.3倍、50人以上との性行為3.2倍、性感染症2.5倍、ガン1.9倍、脳卒中2.4倍、糖尿病1.6倍、骨折1.6倍。ACEsスコア6点以上の人は0点の人に比べ、寿命が20年近く短いという研究結果を示し、社会に衝撃を与えました。

小児期のトラウマや逆境体験は、心身の健康を害するという個人の問題にとどまらず、逸脱行動や犯罪にもつながり、社会全体に影響を及ぼし、連鎖的に広がっていくものです。

 

4.DIDの苦悩と回復をリスペクトとともに描いた『フランキー&アリス』

映画の正式タイトルは『多重人格ストリッパーフランキー&アリス』(2010年)・・・とにかくひどい。ひどすぎるタイトルです。

1970年代のアメリカで、3人の人格をもつ女性と、DIDを見抜き治療しようと奮闘する精神科医を描いた実に基づくストーリー。DIDを描いたこれまでの映画はほぼすべてがサイコサスペンスやサイコスリラーですが、DIDをもつ人の目線からの生きづらさや葛藤、病気を受け入れ向き合っていこうとするプロセスを中心に描かれた、珍しい作品です。

私の一番の感動ポイントは、精神科医がフランキーの中にいる人格一人ひとりにリスペクトをもって接しているところです。精神科医にはDIDに対する偏見も誤解もなく、一人ひとりの人格と対話し、諦めず回復を後押しします。こういう支援者の姿勢は基本だけど失っている人も多いんだよなぁ・・・と思わずにはいられません。一般の人よりも支援者こそが偏見や思い込みが強く、目の前の当事者に起きていることをそのまま受け止められないことがよくあります。

「彼女に何が起きてるんだろう?」とトラウマのメガネをかけて、「トラウマがあるのかもしれない」という前提で彼女を知ろうとするトラウマインフォームドケアの視点が本作の精神科医にはしっかりとあります。

 

5.DIDに偏見をもつ精神科医や支援者は多い

DIDは、頭の中に聞こえる声が「幻聴」と理解され、統合失調症と誤診されることが多い精神障害です。日本のDID治療の権威、岡野憲一郎先生が、「一昔前には、医学部の講義に解離性障害が登場しなかった」「最初から解離性障害やDIDの存在が頭にない精神科医が少なくない」「疑わしきはとりあえず統合失調症の表れと見立てて治療することが多い」と述べるように、残念ながら日本国内でDIDを診断できる精神科医は非常に少ないです。*2

実のところ、私は精神科看護師になってからDIDと診断された患者さんを一人も知りません。しかし、自分の臨床感覚では「きっと解離があるな」という患者さんを何人も見てきました。唯一、公立病院で精神看護実習をしていた学生の頃、DIDと診断された美しい10代女性の入院患者さんを一人だけ知っています。児童思春期精神科医がいたからかろうじて診断に結びついたのだろうと思います。

しかし、現在はブログやYouTube、書籍出版などを通じてDIDを自ら開示する人が増えています。これだけ共通する症状を訴える人が100年以上も前から存在するのに、「DIDなど存在しない」「トラウマの影響などではない」「流行病だ」と権威をもった精神科医や研究者が言い張るというのは、想像力の欠如、思考停止、専門性の上にあぐらをかいた傲慢さ以外の何ものでもないと私は思います。まさに、性暴力被害の当事者が声を上げられず、社会全体でなかったことにしてきた現在の状況と全く同じです。

「詐病ではないか?」「演技ではないか?」といって過去のトラウマの影響に苦しんでいる人の存在を否認するのではなく、その人の苦しみを理解しようと努力することから始めるべきではないかと思うのです。それが、当事者をリスペクトするということです。DIDをもつ人は、耐え難い苦しみを解離しながらも生き延びてきた「輝きをもった人」なのです。

そういった意味では、『スプリット』も、『フランキー&アリス』も、トラウマの影響に苦しんでいる人に光を当て、社会に「見える化」した意義は大きいと思います。

※暴力や虐待の描写が多いので、ご自身の状態に応じて無理をせず視聴してください。

 

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