飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

年末年始の家族全員コロナ闘病記

12月22日、我が家にコロナがやってきた。

その2日前、夫が朝方咳込み始め、「おや?まさかコロナじゃないでしょうね~」「コロナだったらクリスマスも正月もなくなるよ」と疑惑の目を向ける私。

夫は次の日も咳込んでいたため、漢方薬を飲むよう差し出すと、しばらくして効果があったのか「咳治った」と話す。

 

そしてXデーの12月22日。

帰宅後、夫はおもむろに体温計で熱を測り出す。

「熱あるの?何度?」

「38.0℃」

我が家のクリスマスと年末年始が終わった・・・

とガラガラとパズルが崩れ落ちるような感覚。5日とか10日とか、家族感染が長引くと2週間とか自宅待機期間が延びるやつです。

慌てて1個だけあった抗原定性キットを取り出し夫に検査するよう指示。

「陽性」

子どものかかりつけ医で仕事柄つながりもある小児科医に電話診療を受け、コロナ陽性の診断。

 

即刻、娘の部屋に夫を感染隔離。

廊下に置いた椅子に食事や水分や必要なものを受け渡す場所を設ける。平屋の一軒家に一つしかないトイレはもちろん共用のため、アルコールシートで便座や水道や電気スイッチ、引き戸を消毒するよう伝える。

けれど、この時点では私はもう家族全滅を覚悟していた。家族全員で食卓を囲っていたし、夫は食事中も咳込んでいたし、4人一緒に寝室で寝ていたから。咳込み始めた時点でなぜ抗原定性キットで検査しなかったんだろうと悔やまれる。検査したところで家庭内感染を防ぐことはほぼ困難だから、同じ穴のムジナか・・・堂々巡りになる。

こうして同居家族は5日間の自宅待機、夫は1週間の療養期間が始まった。事実上、ワンオペお三度の日々が始まったわけです。

 

12月23日。

電話診療でも、陽性者登録の書類を受け取りにいかねばならない(可能な限り接触を避けるため診察代清算は後日)。

↓これは私の書類。

必要最低限の買い出しも。子供たちが待ちに待ったクリスマスイブは次の日。長男に「サンタさんは来ると思うけど、クリスマスパーティーはパパが治ったらにしない?」と恐る恐る聞いてみる。

「やだやだやだ!お寿司とケーキだけは食べる!」頑として譲らない長男。

だよね・・・聞くまでもないよね。

その夜。長女の顔が赤いような気がするが平熱。透明な鼻汁が多い。そして、私にも咽頭痛が始まる。いよいよ来たか・・・

深夜、長女の身体がいつもより熱いことに気づく。

「38.5℃」

 

12月24日。

9:00には長女の体温は39.8℃まで上昇しぐったりしているため、カロナールを服用させる。自宅にはもう検査キットはないため、かかりつけ医に朝一で電話し長女と私の抗原検査が決定。

長女は11月に38℃の熱を出し、抗原検査をしたことがあった(この時はコロナ陰性)ためか、「お鼻の注射痛かった。お鼻の注射はイヤ・・・」と車内でおびえ始めた。クリニックの玄関先で私から検査したことがまずかった。私の検査シーンの一部始終を見た長女は、完全拒否ですすり泣く。かかりつけ医のみで介助のスタッフはいない。

「無理~!!」

うちの職場なら、検体採取の精神科医の他、抑える介助のスタッフ1名と検体運搬スタッフ1名の3名がかりなのに、家族一人で抑えるの!?

大暴れでマスクもちぎり捨てようとする長女のマスクを口だけ覆いつつ、身体を抑えるのは至難の業。「あ~こりゃ無理かな」と困りながらもトライするかかりつけ医。綿棒には鼻出血の後。さらに片方の鼻腔に綿棒を入れるが、暴れて引き抜こうとする長女。

綿棒は奥深くまで入る。「こんなに奥まで入れて大丈夫!?」と血の気が引く。

そしてだらだらと口元までかなりの鼻出血。検体採取で鼻出血することを我が子で初めて知る私と、すすり泣く長女を車内に連れ戻し、しばらく止血しないとならないほどの鼻出血に「ちょっと先生、これ本当に大丈夫?」と怒りが沸く私。「押さえつけてごめんね」とトラウマにならないか心配し、一方で冷静な頭で「あんなに鼻出血があって正確な結果出る?」「もう再検査なんてさせてくれないよ!」と考えている私。

 

結果は長女陽性、私陰性

夫の経過を見ていると咽頭痛や咳が始まってから高熱が出るようだから、私が発熱するのも時間の問題だろう。かかりつけ医には私と長男の分の抗原検査キットを購入するように助言を受ける。

同居家族が症状が出た場合は自己検査が推奨されるらしい。検査キットが流通している今、自分で検査してくださいってことか。薬局か薬剤師常駐のドラッグストアなら1本1680円ほどで購入できるが、5本セットで6000円というチョイスもある。

しかしながら、咽頭痛がある程度ではウイルスの増殖が検出できない量なのか、私は陰性だった。これは、検査のタイミングを見計らわないと1680円を無駄にすることになるっていうこと。検査に伴う身体的苦痛と、払いたくもない余計な出費をすることになるのは避けたいのが市民の心情。

 

自宅に帰り、陽性の夫と長女を同室にする。惜しくも今夜はクリスマスイブ。

長女の看病は基本夫に託す。私は悪寒と関節痛をごまかして家事をするためにカロナールを服用する。

夫と長女にお寿司とケーキを取り分けて運ぶ。ちょっと遠いが美味しい寿司屋のテイクアウトは諦めて、近くのスーパーの中トロ入りの寿司を買う。チキンだとか他のおかずは病人には食べられないし、私も疲れ切ってクリスマスディナーの用意どころじゃないので割り切る。

息子も私も、感染対策のためそれぞれ離れた席で寿司を頂く。スーパーの寿司でも大好きな作家さんの磁器皿に乗せれば格好がつく。そしてこれが意外と美味しかった。

AppleMusicでクリスマス洋楽を流してみたが、寂しすぎて1年前から観るのをやめた民放TVをつけ長男とお笑いを観た。数日ぶりに笑わせてもらった。「この芸人さん太ったな~」なとか、「久しぶりに見たこの人!」とか言いながら。お笑いに救われたクリスマスイブ。

悪寒とじわじわ上がっていく体温に耐えながら食事の片づけをし、長男を風呂に入れる。就寝する頃にはカロナールが効いた状態で37.5℃。

そしてサンタもちゃんと子どもたちのところに来ていた。

 

12月25日。

私の咽頭痛は続いている。体温は39.3℃まで上昇し、悪寒と関節痛、咽頭痛、頭痛と痛みのオンパレード。いちいち起き上がるのもしんどい。症状はインフルエンザに似ている。

ほぼ陽性との確信もあり、解熱した夫に家事育児のすべてをバトンタッチ。

症状が出て12時間以上(できれば24時間)経たないとウイルスが検出されにくいので、時間まで耐える。ちょうど12時間経ったところで、手順を間違えないように慎重に検査。

陽性

 

期待通りというか、予定調和な結果。これで4人家族のうち陽性は3人目。 

母や妹、友人には断続的にLINEで状況報告していて、気持ちを吐き出す場所があると救われる。

心配してくれる人たちの存在をスマホ越しに感じる。母には食材買い出しをお願いし、玄関先まで届けてもらった。「窓越しで顔が見れるね」「頑張るんだよ」と私や子どもに対面して帰っていった母。

元気な親の存在のありがたさを痛感する。いつまでも元気だと錯覚してしまうけれど、本来は歳を取った親を助ける側にいるのが子どもなのだ。

 

WEBで陽性者登録をして、希望すると届けてもらえる支援物資。都道府県によっては支援物資がないところもあるのだとか。

レトルトカレーやレトルトごはんやトイレットペーパー、ティッシュ、アクエリアス、ゼリー、キャラメルコーンなど、考え抜かれたラインナップだと思う。たくさんたくさん入っていて本当にありがたい。

 

長男は状況に慣れてマスクもできなくなっているし、長女も部屋から出てきて長男と遊んでしまうし、家庭内感染対策は限界。こうなったらもはや、「全員陽性になった方がストレスフリーじゃん」という精神状態に到達している。

ついつい「マスクして!」「離れて!」と注意してしまうけれど、家庭内で子どもに自制させる方が無理というもの。だって3年間も家や幼稚園や学校でたくさんたくさん我慢してきたもんね。

長男はそのうち「ぼくもコロナになりたい!」と言い出すほど追いつめられる。自分以外が陽性で自分だけが陰性だということで容易に疎外感が生まれる。自分が苦しんでも家族と一緒にいたいから家族と同じ陽性を望む。親は親で、自分一人が元気でないと家族の世話は誰がする?と思うと必死。子どもは親とは全く別の、子どもなりの価値基準を持っているのだ。

「もうぼく喉が痛いし咳も出るからコロナだもん」と自慢げな長男。その夜から咽頭痛を訴え始めた長男は、37.4℃あたりをうろうろしている。

まだ一人で寝たことのない長男に「一人で寝るんだよ!」といっても全力で泣き叫んで拒否。結局は長女は私と寝て、夫は感染必死で長男と寝ることに。

 

12月26日。

またもやかかりつけ医に電話し、私の陽性診断をもらう。長男の咽頭痛を報告するとさすがにかかりつけ医は「うわー!」と同情の声を上げる。さらに、「長男さんももう検査をしてもいいでしょう。陽性登録の書類をあなたと長男さん2人分渡せるからその方が一石二鳥でしょう。そして良い年を迎えましょう!」と元気づけるように言う。

鼻出血騒動では不信感を持ったけれど、こうして親の負担を考えてくれて、丁寧に電話に応対してくれるかかりつけ医には感謝の念も大きい。根っこから地域医療を支えているこの小児科医だって70歳代。こんなに患者のことを考えるような小児科医の後継者はいるのだろうか?と私の方が心配になってしまう。

 

案の定、私と長女の検査シーンを車内で目撃していた長男は検査を怖がるが、夫が手を抑えて何とか検査実施。陽性者がする検査って信憑性あるのか甚だ疑問だが。

長男が願った通りの陽性

晴れて(?)感染隔離は解除になった。事実上マスクも不要、寝室も全員元通り一緒になった。ストレスフリーになったわけだけれど、解熱後、毎日変化する咳や痰、咽頭痛、頭痛、倦怠感などに苦しむことになる。

 

インフルエンザの家族感染も経験したけれど、それ以上の感染力のすごさを体感した。

家族内感染は避けられない、あがいてもどうしようもないことがあるのだという現実を目の当たりにした。

基礎疾患、高齢の人にはリスクが高いことも症状の激しさから想像できた。治療薬が安全に使用できない限り、高齢社会の日本では5類感染症にならない大きな要因の一つだと想像できた(インフルエンザでは、タミフルの予防投与のお陰で一晩中高熱の出た1歳の長女を看病していても、授乳をしていても感染を防ぐことができた)。

 

また、シングル親や高齢者を介護するケアラーは、自分が動けない間に食べ物飲み物を調達したり、受診や育児や介護を誰に頼むかといった問題、症状悪化時の連絡、生存確認を誰がするのかといった問題があるのだと容易に想像できた。

自分からSOSを出すことが難しい障がいを持つ人、ひきこもり傾向の人にとっては、さらに困難が大きいことも想像できた。

 

コロナ陽性になって自分が「弱者」になったから思うけれど、みんな最初はこの世に産まれ落ちた瞬間には全員弱者だった。そして、病気や障がいを抱えて「弱者」になったりする。そしていつかは必ず年老いて誰かの世話になる「弱者」になる。

今回、打ち明けた家族や友人、職場の人たち、学校、幼稚園・・・みんな共通して優しかった。口々に、「そうだよね」「いまはつらいと思うので・・・」と、他人事ではない自分のフィルターを通した言葉が返ってきた。それは、みんな自分や家族や友人や同僚が感染を経験して、「痛み」を知っているからだ。

共感とは、他者の痛みを自分の痛みのように感じることだ。

共感する脳の部位と痛みを感じる脳の部位は同じだという。ミラーニューロンという、他者の感情に共鳴する神経系が発達していることも研究されている。それもこれもすべて、何万年も前から人間が養育したり社会形成することによって子孫を残すことができたDNAに組み込まれた生存戦略なんだ。

 

コロナ家族感染を通して感じた「痛み」と「共感」。

人は誰もが弱者になりうるということ。

自分だけが「強者」で、「大丈夫」なはずはないということ。たまたま「運がよかっただけ」なのだということ。みんな同じ人間なのだから、コロナになったって当然なのだ。

 

医療従事者なのに家族内感染を防げなかったらどうしようという恥と後悔。「まさかコロナじゃないだろう」「3年間コロナを逃げ切れたんだから今回も大丈夫だろう」「5回もつらい思いをしてワクチンを打ったんだから」などという正常化バイアス(自分だけは大丈夫だろうと思い込むこと)に陥っていたと思う。きっと、災害も同じなんじゃないかと思う。

 

思い浮かぶ現場のスタッフたちの顔。

自分が原因で(そもそもパンデミックなのに誰かのせいなんていうことがあるのだろうか?)病棟がクラスターになったときのスタッフの心情。

感染した同僚に代わり過酷な勤務を余儀なくされたスタッフの心情。

2度も子どもがコロナになって自宅待機したスタッフの心情。

私は本当にはわかっていなかったのだと思う。

想像しきれないのに勝手なことをいうのは当事者の気持ちを踏みにじる。想像しきれないのだという前提を持つこと、たまたま自分がそうならなかっただけなのかもしれないということ、そしていつ自分が同じ立場になるかもわからないという「当事者性」を持つことが大切だ。

 

看病して、看病されて毎日変化していった私の当事者性。

こんなに苦しいのか!と布団の中で夫の苦しさに気づかされた私。

スタッフたちの心情に一つ一つ思いを馳せた私。

年の瀬にたくさんたくさん勉強させてもらうことができました。

サンタからの、痛みと救いの交じり合ったまさかのクリスマスプレゼントだったのかもしれません。

家族全員回復してきたことにただただ感謝。