やらないと決めたら心も身体も解放された話~その3~
基礎化粧、化粧下地、ファンデーションは塗らずにメイクする
20代から、化粧水・乳液で水分と油分を補っても意味がないと考える派で、美容液のみ使ってきました。
しかし2022年になって、長年愛用してきた美容液すらもやめました!基礎化粧は何もしない!基礎化粧(スキンケア)の代わりにしている美容が睡眠です。
外側から水分・油分を補うよりも内部環境が最も肌に影響すると考えています。
年齢的に8時間以上眠れないので、7時間睡眠を目標にしています。
基礎化粧(スキンケア)をやめてかれこれ1年近くが経とうとしていますが、肌の調子は美容液時代よりむしろよいです。
冬場の乾燥がどうしても気になるときは、皮膚科で身体用に処方してもらった保湿剤を薄く伸ばす程度。
さらには、近年ファンデーションのノリが悪く感じることが増え、無理して塗ってる感が嫌だったので、何とかならないかと思っていた矢先。
いっそのことファンデーションもやめよう!と決めました。
実は美容全般、特に化粧とヘアメイクには興味がないことには薄々気づいてはいたのですが、
「何となくみんながしているから」
「女性は化粧するもの」
というステレオタイプ(固定観念、思い込み)があったのだと思います。
そもそも女性はなぜ化粧をするのか?というところから改めて考えてみました。
「女性は化粧して当たり前」というステレオタイプは、1300年も昔の飛鳥・奈良時代から始まっているようです。
中国大陸から美意識を反映した「おしゃれ」としての化粧が流入、平安時代には「白い肌は美しい人」という女性美が貴族社会を中心に広まり、
江戸時代にはおしゃれを演出する口紅、おしろい、眉化粧の三色の化粧法が完成しました。
これは容易には払拭できない根強い文化ですね。
現代の化粧意識は「美肌であること」「女性的魅力を高めるもの」という意図が大きいといいます。
特に、女性が社会進出するようになり、「周囲への同調、周囲からの期待、社会的役割への適応」という、社会的承認のためという意味合いが強いそうです。
(参考)鈴森正幸(2018):人はなぜ化粧をするのか?,日本香粧品学会誌,42(1),27–35.
自分が化粧したくないといっても、社会がそれを承認しない、不寛容、女性の価値を低く見る、というのは悲しいようですが現実です。
そこで、私は「無理にファンデーションを塗りたくない」と「社会から受け入れてもらう」とのバランスのいいところに着地するために、
おしろい(化粧仕上げ用パウダー)を薄く塗るという方法を取りました。
日焼け止めを塗った後におしろいを塗るというだけ。さらに、眉を整えアイラインを引きます。
他者に不快感を与えない程度に一応「ちゃんとしてるな」という印象を与える、これが私が考える限界です。
いわゆるナチュラルメイク、ズボラメイクですね。
おしろいはメーカーを変える(ソフィーナと資生堂を行ったり来たり)こともありますが、日焼け止めは無添加にこだわりヴェレダ一択。↓ ↓ ↓
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ファンデーションが不要になると化粧下地も不要になり、さらには強いクレンジング剤も不要になるので、ますます肌への負担が少なく済みます。
やらないと決めると、数珠つながりに不要なことが見つかるものだなと思います。
一方で、やめてみてやっぱり元に戻すこともあります。
シャンプージプシー(いろんなシャンプーを求め彷徨う)を何年も続けた結果、
ちょっと値が張るけど地肌も髪も調子がいいシャンプー(トリートメントはなくてもつやつや、まとまる)に出会いました。
割と頭皮がべたつきやすく、洗浄力が弱すぎるとかゆみや吹き出物が出やすいタイプ。
安価なものに切り替えてみたのですが癖はつくし、トリートメントも必要になるし、ぱさぱさに広がるしで、結局元のさやに戻りました。
ダメージ補修力もあり、しっとりつややかになります。
J/standardリッチセラシャンプー
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こんな感じで、トライ&エラーで、無理していること、気に入っていないことを思い切ってやめていこうと思います。
意外にも自分自身のステレオタイプや根拠、理由がわからずにやっていたことの多さに気づきます。
やめていくことで自分が本当に大切にしたいことが見えてきます。
なによりも、がんじがらめになっていた自分自身が解放されていくようで、スッキリ。