飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

LGBTQ当事者の苦悩。ケンカ別れしたゲイの男友達のことを想う。

私には大学時代からのゲイの男友達がいます。「いる」と言っていいのか自信はないけれど。

というのも、お互い精神科看護師として働き、大学院に社会人入学していた頃に、ちょっとしたすれ違いからケンカ別れしたまま、私は結婚し出産してあっという間に10年以上が経ってしまったのです。

 

1.彼との出会い

大学時代に学籍番号が隣で自然と話すようになり、思ったことを誰にでもはっきり発言する、「私にはないもの」に強く惹きつけられて。

(というか、そういう人への憧れが強く友人や夫などそういう面をもった人を無意識に選んでいる笑)

おかしいと思うことには食ってかかるエネルギーある彼を、同級生や教員も敬遠気味だったけれど、私は彼の正直さや物事を見抜く鋭さに惚れ込んで、よく一緒に遊んでいました。

誰よりも早く登校してピアノを練習したり、字が達筆だったり、細やかな気配りができるところだったり、一般的にイメージする男性性を感じさせないところも気に入っていました。

大学卒業後、他県に就職した彼とは手紙やメールを交わして友人関係は続き・・・というか、お互いに精神看護が共通の関心だったので、セミナーや合宿に一緒に参加するようになり、むしろ信頼関係は強固になりました。

あるとき一緒に参加した合宿で、やけに男性上司の話ばかりするなあと思っていると、「僕って男の人が好きじゃん、でさ~」と、恋バナの延長線上でごく自然にカミングアウトされたのでした。

私も「うんうん」と大して驚きもせず、むしろすごく納得したことを今でも覚えています。

彼がゲイであることが2人の間での既成事実となってからというもの、性別を超越した友人として、互いの自宅に泊まったり、新宿2丁目を案内してもらいレズバーに行ったり、仕事やプライベートさまざまな悩みを相談し合う親友関係になっていました。

彼のゲイの友人ともつながり、3人で温泉旅行したり、2丁目のLGBTQが集う老舗CoCoLo cafeでディナーしたり、ホテルのラウンジでアフタヌーンティーしたり・・・なんてこともありました。

私の結婚式ではスピーチをする、と張り切っていた彼(結局それは叶わず)。私がもし結婚しなかったら、年老いた時に一緒に暮らそう、とも話していたっけ。

私は大学時代からの友人として彼と付き合っているので、ゲイとして生きることについて敢えて質問するなんてことはありせんでしたが、そんな中でも、彼からも彼の友人からも、たくさんの自然な会話の中から「ゲイとして生きることの大変さ」を聞き、感じ取ってきました。

それはつまり、差別や偏見に苦しんできた、そして今もその中にいる、ということ。

彼はよく、「僕みたいな見た目だと出会いが少なくて孤独なんだ。僕みたいなゲイは苦労するんだ」と漏らしていました。

日本ではゲイの人たちの中でも「見た目」によって出会いの機会が左右され、ルッキズムが案外強い。

自分からわざわざカミングアウトしないというだけで、言動や雰囲気からゲイだと感じ取った同僚に、更衣室ロッカーにゲイの雑誌が入れられたりする、からかい。

なんとか「ゲイだ」とアウティング(強引にカミングアウトさせようとする)させようとする周囲の残酷さ。

大手企業に勤める彼のゲイの友人は男性と暮らしていましたが、カミングアウトするリスクが大きいからと、ひた隠しにして働いていました。

いまでも、私の胸に突き刺さっている彼の言葉があります。

彼からカミングアウトされた合宿の終盤、「孤独だなあって。深い孤独を感じる」とセッションの最中に語っていました。他の参加者はそれがどういう意味なのか知らなかっただろうけど。

いまから10年以上も前のことで、現在は「LGBT理解増進法」ができるくらい世の中も変化しているので、彼らの都会での暮らしぶり、苦悩はどうなっているだろうか・・・といまでも時々思いをはせます。

 

2.彼との別れ

なぜ親友となっていた彼と別れることになったのか。

いま考えてみても恥ずかしいというか未熟だったというか、あの頃の二人にはどうにもならなかったのでしょう。

2人とも仕事を辞めて貯金を切り崩しながら看護系大学院に進学し、実習や修士論文に追われる過酷な日々を、励まし合いながら送っていました。

友人関係は10年目に突入する頃だったでしょうか。心理的距離も近く濃厚な時間を過ごしていたため、お互いのいいところも弱点も丸裸になります。

当時の私は、周囲に気を遣いすぎて本音を言わないところや、優柔不断なところや、家族(特に母親)を重視するところなどに、

「もっと女性として自立したら?」

と彼は業を煮やしていました。

ある時は、私がランチメニューをどれにしようか迷っていると、「どうして早く決められないの?何でそこまで迷うの?」と突っかかってきたり、

「看護師がよく使う、患者さんの“思い“って何?感情なの?思考?そういう表現ってすごく曖昧で逃げてる」と指摘してみたり、

「なんで看護師になろうと思ったの?人を救いたいってどういうこと?献身って何?マザーテレサみたいだね。偽善に感じる。自己満足でしょう。僕にとっては看護は資格でしかない」など、冷ややかな指摘をしてくるのでした。

彼はつらい生い立ちがあり、自らを「アダルトチルドレン(親の顔色をうかがう過剰適応な子ども)」と言って、「日本の家族像」「親子の愛」に対し強い違和感や反発を感じてきました。

また、常に自分に正直に率直に、自立することを自分にも他者にも強く求める彼は、人とのコミュニケーションには「自己一致(言葉や態度が一致していること)」を最重要にしていました。

そこには私も共感していましたが、時々息苦しさを感じるようになってもいました。

10年も友人でいると、出会う人出会う人、自ら関係を叩き壊していく彼を見て、

「もっと穏やかに関係を続けられないの?」

「親しき中にも礼儀あり。無遠慮に何を言ってもいいってもんじゃない」

と、危うさや腹立たしさを感じていました。

だんだん彼の目指す「自己一致」は一番近くにいた私にも刃となって向けられるようになり、私の一挙手一投足をなじるようになっていました。心理的距離が近くなりすぎてしまったのか、馴れ合いの関係になってしまったのか・・・

私は私で、彼の厳しい言動に怒って先に帰る、なんてこともありました。

そんな険悪な状況の中、お互いに余裕がなく一番つらい大学院生活が始まり、ついに正面衝突してしまったのです。

大学院1年目は講義と訪問看護のアルバイトで忙しく1年以上会えていなかったのですが、大学院2年目に2週間の専門看護師実習のため、彼の居住地付近に滞在することになりました。

彼に連絡し、久しぶりにカフェでお茶しながら互いの近況を共有しました。

大学院に進学してから出会い結婚を考えていた彼氏(現在の夫)について報告し、来春からの就職先も決まり報告したところ。

彼は「僕を受け入れてくれる職場なんてない」と就職先について悩んでいました。

彼の立派な学歴と実践経験を褒めて励ましたところ、私の励ましに突然ブチギレたのです。

「あなたはいいよね。あなたにはわからない!恵まれているんだから!

とバン!とテーブルを叩いて私に怒鳴ったのです。

そのあとも、いかに私が就職先に恵まれているとか、周りの人に理解されているとか、そんなことをいろいろと責めてきました。

憧れの教授が教鞭をとる有名大学院に入り、都会の大病院で働いてきた彼。一方で民間精神科病院に就職しようとしていた田舎暮らしの私とでは、どう比べても雲泥の差。

「一体何が不満なの?」

と言いたくなる私。

心の奥では彼の孤独を痛いほど感じ理解していたつもりだったけれど、すぐに不機嫌になって私をなじる彼にすでに耐えられなくなっていました。

私もぷっつりと頭の中で何かが切れた音がして、

「それはあなたの問題で、私の問題じゃない!」

「もう、帰る!」

と、いままでになく強く彼に反撃し、自分の支払いをして、ケンカ別れとなったのです。

あれは私の自立心、自己一致を奮い立たせた経験でした。自立と自己一致を何より願っていた彼に、結局は自己一致で返したのです。

彼の方から友人を介して間接的に修復を求めてきましたが、私は「そのつもりがあるなら直接連絡してほしい」と伝えてもらいました。

結局連絡はないまま現在に至ります。

 

3.そして現在

今年、神戸の学会に参加したとき、彼の出身大学院の恩師(精神看護領域では著名)にご挨拶をしたとき、彼の話題を向けました。

「今度会うよ。○○くんに事例検討会を頼まれちゃってね。不器用な彼なりに元気にやっていますよ」と。いまでも元気に精神科病院で働いているようで、ほっとしました。

私は近頃、看護系雑誌に記事を載せたり、学会でちょくちょく発表しているので、狭い世界だからきっと私の様子を見ているはず。私の職場のホームページも覗いているんじゃないだろうか、なんて思う。

彼がどこかで見ていることをいつも私は意識しています。彼に恥じない仕事をしようといつも思っています。

アダルトチルドレン、そしてゲイとして生きる彼が見せてくれた底知れない孤独と苦悩。私は決して忘れない。

いまは一緒にはいないけれど、彼が垣間見せてくれたものを胸に抱えて私も生きる。

だいぶ歳を取った二人が、また笑って会える日はくるのでしょうか。