飛紅真の手紙

自然、アート、社会問題を静かに叫ぶ。

『82年生まれ、キム・ジヨン』から女性のキャリア断絶と産後うつについて思うこと

「ワーキングマザー(ワ―ママ)」「ワンオペ育児」といった言葉が早く死語になればいいと思う。早くそんな言葉が要らない社会になればと思いつつ、悲しいことにまだまだ通用するからこそ、嫌悪感をバネにあえて使っています。

ずっと観たかったフェミニズム映画。お隣韓国でも日本と変わらず家父長制で女性差別は深刻なのだとため息が出ました。

82年生まれ、キム・ジヨン(字幕版)

『82年生まれ、キム・ジョン』チョ・ナムジュ著

 

1.出産だけじゃなく育児も命がけ

主人公の腱鞘炎を描くシーンがありました。「第一子出産後、私もなったなぁ~!」と懐かしくなりました。出産に伴うホルモン変化で起こりやすいらしいのですが、とにかく初めての育児で必死だったんだと思います。泣いてばかりで寝てくれない長男を、抱き方のコツもわからず四六時中抱っこであやしていました。産後6週間休暇だけで復帰した武勇伝を語る50代後半の女性上司に、吐き捨てられた言葉を思い出しました。

「なんで腱鞘炎なんてなるの~?あなたって弱いのね~」

心の中でその上司に「義両親に育児を任せきりで働いていたあなたにはわからない」と毒づきましたが(笑)。

1人目育児中は、自分のネガティブなフィルターを通して周囲の言葉や世間の情報を取り入れていた気がします。母乳育児がうまくいかず、新生児用体重計をレンタルまでして授乳前後の体重増減に一喜一憂していました。新生児訪問に来た保健師が体重測定の段取りが悪く、必要以上に脱ぎ着を繰り返して不快になった長男が泣きわめく(寝た子を起こす)と、「よく泣きますね、いつもこうなの?」と皮肉られ、ショックと怒りで震えたり・・・。

私は、産後の神経過敏を「産後のホルモン異常」の一言で片付けていい問題ではないと思っています。女性だけに育児の責任を押し付ける社会の方こそ問題があると思います。産後の体調が回復しない中、2時間おきに泣く赤ちゃんのお世話や家事で慢性的な睡眠不足です。夫や両親の家事育児への協力や精神的支えがなければ、母親は孤立無援状態で神経過敏になって当たり前なのです。「育児は母親がやるもの」という固定観念はまだまだ根強く、多くの人々にとって育児中の母親の心身の疲労は問題外らしい。

『82年生まれ、キム・ジヨン』では、出産育児で仕事を諦めた女性が精神に変調をきたす描写がありました。産後うつなのか、産褥精神病なのか診断名は出てきませんでしたが、出産育児にともなう産後うつは10人に一人と有病率が高いのも事実です。うつ病でさえ50人に一人、統合失調症で100人に一人です。出産育児はそれだけ心身のストレスと社会からの隔絶によるダメージが大きいと考えられます。

ちなみに出産育児に伴う精神疾患で最重度なのが「産褥精神病」ですが、きわめて稀に発症するといわれ1000人に一人。閉鎖病棟で産褥精神病の入院患者をケアした経験がありますが、自傷他害の危険があり隔離室に入るほどの精神運動興奮、幻覚妄想がありました。その様子を目の当たりにして、「出産育児ってこれほどまでに人間を変える威力があるんだ・・・」とショックを受けました。 

「出産は棺桶に片足突っ込むもの」「出産は命がけ」といいますが、産後の育児のほうこそが女性に与える影響が甚大かもしれません。妊産婦の産後1年以内の自殺率は8.43%と、妊産婦死亡の原因1位が「自殺」、原因の50%は「家庭問題」です。*1

 

2.出産育児による女性のキャリア断絶

1人目の産育休に入った初日、私は「ただの一人の女性」になった虚脱感に襲われました。大学院修了と同時にいまの職場に入り、専門看護師の認定資格に合格、役職を与えられ、「これからどんどん組織変革するぞ」と燃えていた5ヶ月後に妊娠が判明。出鼻をくじかれた格好です。しかし、私の育休は期間限定で出産前と同じポジションが確約されていたので、育休中の葛藤はそれほど少なくて済みました。

『82年生まれ、キム・ジヨン』のようなバリキャリが出産を機に仕事を辞め家庭に入ったら、「アイデンティティの危機」は必至です。夫や両親、義両親の理解や協力がなければ、誰だって産後うつになるでしょう。私の周りは看護職が多いですが、みんな交代制勤務の過酷さを知っているので、夜勤を避けてパート勤務やクリニック勤務に就くことが多く、振り出しに戻るどころか出産前の給与をはるかに下回ってしまいます。「あんなに優秀だった子がクリニックでパート勤務なんて・・・」と驚くこともあります。再就職しない潜在看護職が多いことも看護界の最重要課題です。

ポジションが確約されていた私も、育休復帰後は出産前と同じようには働けませんでした。専門看護師は5年更新制なので認定更新する際、ケースレポートに加え看護研究や学会参加などのポイントを申請するのですが、あれだけ看護研究が好きだったのに、現場ではスタッフの研究指導に追われるばかり。研究も学会参加もポイントが足りないことに「この5年間私は何をしていたんだ・・・」とショックを受けました(無事に更新審査は合格)。出産してからの5年間は育児中心で大して業績を残せていなかったのです。

私の頭に浮かんだのは「キャリア断絶」。出産育児を言い訳にしたくはありませんが、仕事に費やす時間は大きく削られたのは事実です。何よりも、自分のキャリアについて考える精神的余裕などありませんでした。いつも考えるのは子どものことばかり。気持ちが全く仕事に振り向けられないのです。そして気づけばもうこんな歳!!急に周りが見えて焦ってきます。

二人目が年少に進級する4歳頃から少しずつ時間的・精神的余裕を取り戻し、看護研究や学会発表、専門誌への記事執筆、書籍共同執筆などができるようになってきました。そして、2022年から性暴力被害者支援の勉強を始め、2023年に日本版性暴力被害者支援看護職(SANE-J)の認定資格を取得することもでき、新たな分野を開拓し始めています。幸いにも私の夫はフリーランスで時間のゆとりがあるので、育児をほぼ50%ずつできているのも、私が仕事に集中できるポイントです。

 

3.育児中の母親に掛けてほしい言葉

当ったり前な結論ですが、女性がキャリア断絶することなく、育児と仕事を両立するには、社会や周囲の人の協力が不可欠です。「もっと働きたい」「でもいっぱいいっぱい」という葛藤と、「子どもが犠牲になるのでは」という罪悪感の中にいます。葛藤の末に命を落とす女性すらいることを知ってほしい。

専業主婦であっても理解や協力がないと精神を病んでしまうほど、言うことを聞かない動物=赤ちゃんを育てるのは命がけ。女性が異様に過敏になり孤立感を深めアイデンティティの危機に陥るのが産前産後なのです。

私は一人目の育休復帰後、年配女性の同僚から「子ども、可愛いでしょう」といわれても「はい」と言えず「うーん、大変ですよ」と答えていました。その同僚は首を傾げていました。育児の大変さ、もう忘れちゃったのかな?想像力の欠如?

どうか、「大変だね、眠れてる?」の一言でいいから、赤ちゃんの方でなく母親に注目して労いの言葉を掛けてください。子どもは可愛いに決まってます。可愛いと素直に言えないほどに、母親は心身が疲弊して自分の将来が見えず追い詰められていることが多いから。どんな母親も「産後うつ」という命の危険と隣り合わせなのです。第二、第三のキム・ジヨンを生み出さないために。