飛紅真の手紙

フェミニストで精神看護専門看護師ブロガー、自然、アート、社会問題を綴る。

断捨離は自分の気持ちを優先すること、自分自身をもてなすこと。

2022年はいろいろな断捨離に取り組んだ1年でした。囚われを解放できたことで、自分が何を優先したいのかが見えてきました。

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囚われから解放できたことと同じくらい大切なこと。

それは、他者から大切にされるかされないかといった他者軸ではなく、「私が私を大切にできているか」「自分自身をもてなせているか」という、ごくごくプライベートな問題。

・砂ぼこりや土を放置した玄関の三和土

・何日も洗濯していないシーツ

・毎日磨いていないキッチンのシンク

・いつ掃除したっけ?と怖くなる排水溝

・便座の裏

 

いやいやまだまだ上げたらキリがないけれど、ここまでは来れた!って気もする。断捨離で大事なのはモノを減らして厳選すること。これはこの1年でかなり実践できました。あとは私が苦手でついつい後回しにしてしまう「掃く・拭く・磨く」。これは自分が選び抜いたモノを「メンテナンス」することとでもあるのです。

 

最近意識するようになったのが、「“なんか気持ち悪い!うわ~汚い!”と思う気持ちを優先する」ということ。不快な気持ちを見て見ぬふりをして蓋をするのは、自分自身に嘘をつくと同じこと。

「旦那さんがやるべきだ」「子どもが主体的にやってくれたら」と期待してしまう気持ちもあるけれど、これは自分の気持ちなのだから、家族に押し付けるor家族がやるのを待つ、のではなく、まずは自分が気持ちよくなることを優先するために動こう!私をもてなせるのは私だ!ということ。

 

また、「掃除もできない私」「めんどくさがり屋な私」と、自己批判や自己否定はしないこと。「掃除できない理由は何か?」「なぜめんどくさくなってしまうのか?」を考えるようにする。掃除しやすいシステムを作ること、自分ルールを作ること、したくなるようなモチベーションを用意しておくこと。習慣になるまでに時間は必要だけれど、自分が気持ちよくいられるように「自分自身をメンテナンスすること」でもある。

そのためのシステム&ルールはというと・・・

 

・毎日ルンバをかけるためにルンバラブルな(ルンバが走りやすい)床にしておくこと

・その都度掃除(トイレに入ったら便座を拭いたり手洗いボウルを磨いたり、風呂に入ったら引き戸の桟のホコリを取る、シンクを使ったらペーパータオルで汚れをひと拭きする・・・)

・玄関三和土を掃くと自分が埃だらけになるのが嫌なので専用の掃除機を設置

・毎日使うのもにはお金をかける(寝具は傷んでもいいからたびたび洗濯する、高品質なタオルを年に1度新調する、下着は高価じゃななくても3か月に1度は新調する・・・)

など。

 

ドラム式洗濯乾燥機を使っているためか、洗濯物の傷みが早いということも痛感しました。これも、何を優先するか(生地の品質維持か、洗濯の時短か)なのだと思う。自分が大事にしたいことを叶えるために、余計な執着は捨てる思い切りが大事。

他者にわざわざ見せないところ、見えないところ(下着、本棚や食器棚や冷蔵庫の中身、タオルや寝具・・・)は特に自己肯定感が表れやすいものです。つまりは「自分は自分をどう扱っているか」「自分をもてなしているか」が顕著に表れる部分だから。

本棚の本が読みもしない学術本や文学だったりしたら自分をよく見せようとしているのかもしれないし、食器棚の中がシールを集めてもらえるお皿だったり、好きでもない引き出物ばかりだったら、自分を大切にしているとは到底言えない。

 

洋服やカバンやメイクや車といった「他者からどう見られるか」といったことは自己表現として大切。もちろん私も自己表現は大好きだったから大切にしてきました。

けれど、他者からは見えない地味~なこと・・・寝具や下着やタオルや歯ブラシみたいに、毎日毎日自分を癒してメンテナンスしてくれるものに目を向けて、お金をかけることだって同じくらい大切。

 

自分が一番大切です。自分が元気じゃないと、子どもにも夫にも友人にも同僚にも知らない人にだって、やさしくなんてできないように思います。

 

自分の気持ちを優先できているか?

自分自身をもてなせているか?

生活の中で。自分自身の足元で。

何度でも何度でも自分自身に問い続けたい。

 

断捨離とメンテナンスで、自ずと運が運ばれてくることを教えてくれる一冊。発売と同時に読みふけりました。↓ ↓ ↓