1度観て思わずDVDをポチっと購入してしまったほど惚れ込んだボディ・ホラー映画。
ジュリア・デュクルノー監督作『RAW~少女のめざめ~』(2016年)
「いつも何を減らせるか」を考えている断捨離好きな人間ですが、「これは手元に置いておくだけでもテンション上がる~」って作品ってありませんか?デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』も即買でした。
『RAW~少女のめざめ~』は「カニバリズム(人肉食)にめざめる少女」という設定ですが、私には「性のめざめを強要される少女」と感じてならなかったのです。
ストーリー
ベジタリアンとして育てられた16歳のジュスティーヌは、初めて親元を離れ獣医科大学の寮で暮らすことに。ある日、先輩のしごきの一環として全身に動物の血を浴びせかけられ、ウサギの生の腎臓を強制的に食べさせられた彼女は、身体にさまざまな異変を感じるようになる。次第に自分の内に秘めた恐ろしい本性と秘密に気づいていくー
1.若年世代の同調圧力の怖さ
入学するやいなや、同じく寮にいる1学年上の姉や先輩たちから、パーティー参加に露出の多い服を強要される、男子同級生と無理やりキスさせられる、アンダーヘアの脱毛まで強要されるなどなど、かなりしつこい洗礼を受けるジュスティーヌ。そこに乗らないと、「まだまだお子ちゃま」認定され仲間から外され孤立してしまうから断ることは難しい。これって、誰しも一度は経験がある「お前も早くコッチ側に来い」という若者世代の同調圧力ではないでしょうか。性的な知識や準備性がなければ、リスク(望まぬ妊娠、性感染症、レイプなど)も伴います。
2.処女コンプレックスを刺激する社会
「性経験がない」=「恥ずかしい」というアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)は、私の子ども時代ではすでに強かったと思います。読み漁ってきたティーン雑誌・少女マンガ・アニメ等サブカルチャーの中でも盛んに描かれたり、コンビニに18禁ポルノ雑誌やレディースコミックスが堂々と陳列され規制などほとんどない性的なものが氾濫していた時代でした。そんな社会では思春期にとっては「初体験がいつか」「ABCどこまでいったか」(←懐かしい笑)のような、性経験することが最大の関心事でした。
2010年代頃より「性の多様性」が学校教育にも反映されるようになり、「草食系○○」という流行語が代表するように、性経験の有無に重きを置かない「自由な性の選択」の時代が到来しました。それでもなお、「処女」=「恥ずかしい」「まだまだお子ちゃま」というアンコンシャスバイアスは根強いんじゃないでしょうか。
本作はまだ若いフランス人監督の感覚で描かれるからこそ、自由な国フランスでも同じなの!?と驚きつつ鑑賞していました。
3.男性にとっての「処女」と女性にとっての「処女」
「処女」だとか「貞操」だとかいう言葉って、歴史的に見ても男性社会が女性をコントロールしようとする考え方から生まれた言葉だと思います。女性同士ではあまり使わないよな~。好きな言葉じゃないし。
女性間でも「性経験がないなんて何か問題があるのでは」みたいな、女性として一人前かどうかの判断基準で会話が交わされることがまだあります。「処女卒業」=「男性から求められるのが女性としての幸せ」であるかのようなステレオタイプが女性自身の中に根付いているのかもしれません。性的関心や性欲よりも、世間体よって処女を卒業しようと焦るんじゃないでしょうか。
ジュスティーヌのように、最初こそ抵抗しますが、周囲から孤立していくのに耐えられず、同調圧力に飲まれていくのも無理はありません。自分のタイミングで選択できる社会であったらいいのに、と思います。
4.欲望をコントロールしながら社会で生きるには
ジュスティーヌは自分の内にあるカニバリズムの本性にめざめていくのですが、そこまで極端ではないにしても、本能の中でも「性欲」は最も「不道徳」に傾きやすい欲望です。そこに「支配欲」が加わると性暴力に発展するからです。
社会で生きていくためには欲望のコントロールが最重要です。欲望に忠実に生きれば「動物的」だけど、「人間的」に生きるにはやはりコントロールが不可欠だと思っています。
16歳でカニバリズムにめざめたジュスティーヌは、自らの欲望をどのようにコントロールしながら生きていくのか?彼女のその後を妄想してしまうボディ・ホラーの傑作です。